太秦参詣・父の便り

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原文

八月ばかりに太秦にこもるに、一条より詣づる道に、男車、二つばかり引き立てて、ものへ行くにもろともに来(く)べき人待つなるべし。過ぎて行くに、随身だつ者をおこせて、

花見に行くと君を見るかな

といはせたれば、かかるほどのことは、いらへぬも便なしなどあれば、

千ぐさなる心ならひに秋の野の

とばかりいはせて行き過ぎぬ。

七日さぶらふほども、ただあづま路のみ思ひやられて、よしなし事からうじてはなれて、「平らかにあひ見せたまへ」と申すは、仏もあはれと聞き入れさせたまひけむかし。

冬になりて、日ぐらし雨降りくらいたる夜、雲かへる風はげしううち吹きて、空はれて月いみじう明(あか)うなりて、軒近き荻のいみじく風に吹かれて、砕けまどふがいとあはれにて、

秋をいかに 思ひいづらむ 冬深み 嵐にまどふ 荻の枯葉は

あづまより人来たり。

「神拝といふわざして国のうちありきしに、水をかしく流れたる野の、はるばるとあるに、木(こ)むらのある、をかしき所かな、見せでとまづ思ひ出でて、『ここはいづことかいふ』と問へば、『子しのびの森となむ申す』と答へたりしが、身によそへられていみじく悲しかなりしかば、馬よりおりて、そこに二時なむながめられし、

とどめおきて わがごとものや 思ひけむ 見るにかなしき 子しのびの森

となむおぼえられし」

とあるを見る心地、いへばさらなり。返事(かえりごと)に、

子しのびを 聞くにつけても とどめ置きし ちちぶの山の つらきあづま路

語句

■太秦 京都市右京区太秦の広隆寺。 ■一条より 一条大路を経由して。 ■引き立てて 牛をはずし、轅をはずして榻(しじ)に載せた状態。榻は腰かけにする台。乗り降りの際に踏み台ともした。左右の轅を結ぶ部分は軛(くびき)という。 ■随身だつ 随身めいた。 ■千ぐさなる… 「先ぐさ」は秋の野に咲くさまざまな草花。また、男の浮気性で目移りする性質を揶揄している。 ■よしなし事 物語への耽溺。夕顔や浮舟のようになりたいなどという妄想。 ■雲かへる風 雲を吹き払う風。 ■神拝 国司が赴任して最初に行う行事。国内の神社をまわって参拝し、五穀豊穣や国政の安定を祈る。 ■木むら 木がむらがっている所。 ■見せで お前に見せてやれないで残念だ。 ■子しのびの森 茨城県西茨木郡に押延(おしのべ)という地名があるのを聞き間違えたか故意に変えたかしたもの。 ■身によそへられて 身につまされて。

現代語訳

八月ごろに太秦ごもりをするのに、一条大路を経由して詣でる道に、男車が二つほど止めてあって、物詣に一緒に来るらしい人を待っているようだ。通り過ぎて行ったところ、随身めいた者を私たちの所によこして、

花見に行くと君を見るかな

あたなは花見に行くと見ましたよ。

と言わせたところ、このような風流な問いかけには、答えないのも無粋なものですと一緒にいた人に言われたので、

千ぐさなる心ならひに秋の野の

あなたは多くの女性に目移りがする浮気なお方。それだから、まじめに物詣に行く私のことまで、花見に行くだなんて思うのです。あなたと一緒にしないでくださいまし。

とだけ言わせて行き過ぎた。

七日太秦ごもりをしている間にも、ただあずま路の父のことばかり思いやられて、物語に耽溺したわいない妄想にひたることからは、かろうじて離れて、「つつがなく父に会わせてください」と申し上げたのは、仏も不憫に思って、お聞き入れくださるだろう。

冬になって、一日中雨が降り続けたその晩、雲を吹き払う風が烈しく吹いて、空は晴れて月がたいそう明るくなって、軒近い荻がたいそう風に吹かれて、砕け乱れるのが、たいそう不憫で、

秋の盛りを、どんなふうに思い出しているだろう。冬が深いので、嵐にもまれる荻の枯葉は。

あづまより父の便りを持った人が来た。

「神拝という儀式をして、国のうちをまわっていたところ、水が趣深く流れている野がはるばるとある所に、木が群がっている所がある、趣深い所だなあ、見せてやれないのが残念だと、まずお前のことを思い出して、『ここは何というところですか』と聞くと、『子しのびの森と申します』と答えたのが、身につまされてたいそう悲しかったので、馬からおりて、そこに二時(四時間)ぼんやりしていた。

とどめおきて わがごとものや 思ひけむ 見るにかなしき 子しのびの森

お前もわが子をどこかに置いてきて、私のように悲しい気持ちなのか。見るも悲しい子しのびの森よ。

と思った」

とあるのを見る心地は、言うまでもなく胸がいっぱいになる。返事には、

子しのびを 聞くにつけても とどめ置きし ちちぶの山の つらきあづま路

子しのびの森の話を聞くにつけても、私を京に留め置いてちちぶ山の向こうのあづま路へ赴任された父上のことを恨めしく思います。

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解説:左大臣光永

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