更級日記~門出

こんにちは。左大臣光永です。

先日、京都御苑を歩いていたら、ああ今は葵祭の時期だなァと気づきました。今年はどの祭も中止になり、火が消えたようです。しかし『徒然草』に言いますからね。「花はさかりに、月はくまなきをのみ見るものかは」と!花は満開なのが、月は満月だけがいいわけではない。祭りがない時に、祭をなつかしく心に思い描くのも、またよいものであると、その精神で、葵祭の行列を心に思い描きつつ、京都御苑を後にしました。

本日は菅原孝標女の『更級日記』を読みます。

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更級日記。平安時代の日記文学。作者は菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)。康平2年(1059)以降の成立。

地方官の娘として生まれた作者が、父につれられて上総から京へ上がる時の旅路に始まり、『源氏物語』によみふけった夢見がちな少女時代、結婚、夫との死別、さびしい晩年まで約50年間の回想をつづります。

少女時代に憧れた、光源氏のような男性との出会いも、宮仕えで出世することなく、つまらない、平凡な家庭に落ち着いて、年老いていくことを嘆きつつ、浄土に救いを求めて日記は結ばれます。

物語に憧れた少女時代のことを、作者自身は反省し批判的に書いていますが、それこそが、とても生き生きと、輝かしく描かれており、時代を超えて共感をよびます。

原文

あづま路の道のはてよりも、なほ奥つ方に生ひ出でたる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひはじめける事にか、世の中に物語といふもののあんなるを、いかで見ばやと思ひつゝ、つれづれなる昼ま、宵ゐなどに、姉継母などやうの人々の、その物語、かの物語、光る源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふまゝに、そらに、いかでかおぼえ語らむ。いみじく心もとなきまゝに、等身に薬師仏をつくりて、手あらひなどして、人まにみそかに入りつゝ、「京にとく上げ給ひて、物語のおほく候ふなる、あるかぎり見せ給へ」と、身を捨てて額をつき、祈り申すほどに、十三になる年、のぼらむとて、九月三日門出して、いまたちといふ所にうつる。

年ごろあそびなれつるところを、あらはにこぼち散らして、たちさわぎて、日の入りぎはの、いとすごく霧りわたりたるに、車に乗るとて、うち見やりたれば、人まにはまゐりつつ、額をつきし薬師仏の立ち給へるを、見捨てたてまつる悲しくて、人知れずうち泣かれぬ。

門出したる所は、めぐりなどもなくて、かりそめの茅屋の、しとみなどもなし。簾かけ、幕など引きたり。南ははるかに野のかた見やらる。ひむがし西は海ちかくて、いとおもしろし。ゆふぎり立ち渡りて、いみじうをかしければ、朝寝(あさい)などもせず、かたがた見つゝ、ここをたちなむこともあはれに悲しきに、同じ月の十五日、雨かきくらし降るに、境を出でて、しもつさの国のいかたといふ所に泊まりぬ。庵(いお)なども浮きぬばかりに雨降りなどすれば、恐ろしくていもねられず。野中に岡だちたる所に、たゞ木ぞ三つたてる。その日は雨にぬれたる物ども乾し、国にたちおくれたる人々待つとて、そこに日を暮らしつ。

語句

■あづま路の道のはてよりも… 「あづま路の道のはて」は常陸国。「あづま路の道のはてなる常陸帯のかごとばかりもあひ見てしがな」(古今六帖・五 紀友則)「常陸帯」は鹿島神宮に供える帯。その帯に好きな相手の名を書いて備えると結ばれるという。「かご」は帯の留め金で「かごと」と掛ける。「かごと」はかりそめ。「常陸国にあるという常陸帯の留め金ではないが、ほんのかりそめでも、あなたに会いたいものだ」。 ■なほ奥つ方 作者が少女時代を過ごした上総は常陸より西であり、「奥つ方」というのはおかしいが、虚構と現実が入り混じっているものか。 ■あやし みすぼらしく鄙びていて教養が無いこと。 ■あんなる 「あるなる」の音便。「なる」は推定伝聞の助動詞。 ■宵居 夕食後の団欒。 ■ゆかし ~したい。 ■人まに 人目の無い時に。 ■身を捨てて 身を投げ出して。 ■十三になる年 寛仁4年(1020年)菅原孝標は上総介の任期を終えた。 ■いまたち 地名。詳細不明。千葉県市原市馬立と見られている。 ■あらはに 外から丸見えなほど ■こほちちらして 家具などをとりはずすこと。 ■すごく ひどく。程度がはなはだしいこと。■めぐり 境界。周囲の生垣など。 ■茅屋 茅葺屋根の、みすぼらしい建物。 ■蔀 格子の裏に板を張った戸。多くは上下二枚に分かれ、下一枚は固定しね上一枚は棒で吊り上げられるようになっている。これを半蔀という。 ■見やらる 自然に目に入ってくる。「る」は自発の助動詞。 ■かきくらし あたりを暗くして。「かき」は接頭語。 ■境 上総と下総の国境。 ■いかた どこか不明。 ■岡だちたる所 岡のような所。 ■立ち遅れたる人々 後始末のために上総に残っていた人々。 

現代語訳

「あづま路の道のはて」と歌に詠まれた常陸の国よりさらに田舎に生まれた私が、どれほど人目にはみすぼらしく見えただろうに、何を思ったか、世の中に物語というものがあるのを、どうにかして見たいと思いつつ、昼間の暇な時や、夕食後の団欒のひとときなどに、姉や継母といった人々が、あの物語、この物語、光源氏のありようなど、所々語るのを聞いていると、話全体を読みたいと思えてくるのだが、どうして私の希望どおりにぜんぶ暗記していて語ってくれたりするだろうか。

たいそう心細いままに、等身大の薬師仏を作らせて、手洗いなどして、人目の無いときに密かに持仏堂に入って額づいて身を乗り出して、「京に早く上がれますように。物語がたくさんあると聞いています。ある限り見せてください」と、身を投げ出して額づいて祈り申し上げているうちに、十三になる年、父の任期が切れたので京に上るということで、九月十三日、門出して、ひとまず、いまたちという所に移った。

長年の間遊び馴れた家を、外から丸見えになるまでに壊して家具などを取り外して、人々は引っ越しの準備におおわらわだ。日の沈みぎわ、たいそうひどく霧が立ち込めているところ、車に乗るにあたって家のほうを見やると、人目をしのんで参りつつ額づいていた、あの薬師仏がお立ちになっているのをお見捨て申し上げる悲しさに、人知れず泣けてきたのだ。

門出にあたって一時的に滞在した所は、垣根などもなくて、茅葺の仮小屋で、蔀戸などもない。簾をかけ、幕などを引いた。南ははるかに野の末まで見渡せる。

東と西は海が近くてたいそう趣深い。夕霧が立ちわたって、たいそう趣深いので、朝寝などもせず(早起きして)あちこち見ながら、ここを出発してしまうのもひどく名残惜しく悲しくてならなかったが、同じ月の十五日、雨があたりを暗くするほど降っている中、上総と下総の境を出て、下総の国いかだという所に泊まった。

庵も雨水で浮かんでしまうほどに雨が降りなどするので、恐ろしくてちっとも寝られない。野中に、丘のようになっている所に、ただ木が三つ立っている。その日は雨に濡れた多くの物を干して乾かして、上総に後処理のために残してきた人たちが遅れて追いつくのを待つのだということで、そこに一日過ごした。

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解説:左大臣光永

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