物語への憧れ 継母との別れ

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原文

ひろびろとあれたる所の、過ぎ来つる山々にも劣らず、大きにおそろしげなるみやま木どものやうにて、都のうちとも見えぬ所のさまなり。

ありもつかず、いみじうもの騒がしけれども、いつしかと思ひしことなれば、「物語もとめて見せよ、物語もとめて見せよ」と、母をせむれば、三条の宮に、親族(しぞく)なる人の、衛門の命婦(みょうぶ)とてさぶらひける、尋ねて、文遣りたれば、めづらしがりてよろこびて、御前のをおろしたるとて、わざとめでたき冊子(そうし)ども、硯の筥(はこ)の蓋に入れておこせたり。

うれしくいみじくて、夜昼これを見るよりうちはじめ、またまたも見まほしきに、ありもつかぬ都のほとりに、たれかは物語もとめ見する人のあらむ。

継母なりし人は、宮仕へせしが下りしなれば、思ひしにあらぬことどもなどありて、世の中うらめしげにて、外に渡るとて五つばかりなる児(ちご)どもなどして、「あはれなりつる心のほどなむ、忘れむ世あるまじき」などひいて、梅の木の、つま近くて、いと大きなるを、「これが花の咲かむをりは来むよ」といひおきて渡りぬるを、心のうちに恋しくあはれなりと思ひつつ、しのびねをのみ泣きて、その年もかへりぬ。

いつしか、梅咲かなむ。来むとありしを、さやあると、目をかけて待ちわたるに、花もみな咲きぬれど、音もせず。思ひわびて花を折りてやる。

頼めしをなほや待つべき霜枯れし梅をも春はわすれざりけり

といひやりたれば、あはれなることども書きて、

なほ頼め梅のたち枝は契りおかぬ思ひのほかの人も訪ふなり

語句

■深山 みやま。外山(とやま)に対して人里離れた山。 ■ありもつかず 落ち着かない。 ■いつしかと思ひしこと 一刻も早く物語を読みたいと思っていたこと。 ■母 実母。藤原倫寧(ともやす)の娘。『蜻蛉日記』の作者右大将道綱母の異母妹。 ■三条の宮 一条天皇第一皇女修子内親王。 ■衛門の命婦 宮中に出仕するときの女房名。衛門は父か兄の官職だろう。命婦は後宮の職員のこと。清少納言の娘で上東門院に仕えた小馬命婦(こまのみょうぶ)が有名。 ■御前 三条宮のこと。御前は貴人の御前。転じて貴人その人をも指す。 ■おろす 貴人が所有する品を下賜されること。 ■わざと 特別に。 ■冊子 紙を折ってとじ合わせた本。草子。巻子(かんす)に対していう。 ■硯の筥の蓋 当時は人に物を送るのに、硯箱の蓋をお盆としてその上にのせて送った。 ■継母なりし人 高階成行(たかしなのしげゆき)の娘。孝標とともに上総に下り、幼い孝標の娘(作者)に教育をほどこしたが、上京後離婚。しかし離婚後も作者とは交流があり、作者の文学的素養をつちかった。 ■世の中うらめしげにて 夫婦仲が悪くなって。 ■児どもなどして 子供たちを連れて。 ■つま近く 軒端近く。 ■梅咲かなむ 「なむ」は願望の終助詞。

現代語訳

わが家は広々として荒れた所で、過ぎてきた山々にも劣らず、たいそう恐ろしげな深山木がうっそうとしげっているようで、都のうちとも思えない所の様子だ。

まだ落ち着かず、たいそう取り込んでいる中ではあるが、ずっと物語を読みたいと思い続けてきたことなので、「物語を求めて見せて。物語を求めて見せて」と、母にせがむと、三条の宮さまのところに、親族が、衛門の命婦という女房名で出仕しているので、その人を尋ねていき、手紙を送ると、その人は私たちが帰ってきたのを珍しがり喜んで、三条の宮さまからいただいたものだといってね特別に立派な草紙を何冊か、硯の箱の蓋に入れてよこしてくれた。

嬉しく大感激で、夜も昼もこれを見るのから始まって、もっともっと他の物語が詠みたいと思ったが、上京早々の都の片隅で、誰が物語を求めて見せてくれる人があるだろうか。

継母であった人は、宮仕えしていたが父が上総へ下ったので、思い通りにならないことがいくつもあって、夫婦仲が悪くなって、父と別れるのだと五つばかりになる子供など連れて、「あなたが優しくしてくださった心のほどは、けして忘れません」など言って、梅の木の軒端に近くて、たいそう大きいのを、「この花が咲く頃には訪ねてきます」と言い置いて出ていったのを、心のうちに恋しく懐かしく、会いたいと思いつつ、忍び音に泣いてばかりいて、その年も暮れた。

早く梅よ咲いておくれ。梅が咲いたら来てくれると継母が言っていたのを、本当に来てくれるだろうかと、その梅を見ながら待ち続けていたところ、花もみな咲いてしまったが、音沙汰もない。

思いあぐねて花を折って歌を書き送った。

あなたが頼みにしなさいと言ったのを、なおあてにして、待っているべきなのでしょうか。霜枯れていた梅も春は忘れないものなのに。

と書き送ったところ、しみじみと優しい言葉など書いて、

なお頼みにして待っていてください。梅のたち枝が薫る時は、約束もしていなかった、思いのほかの人が訪れるといいますから。

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解説:左大臣光永

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