初瀬籠り。鏡に映った未来

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原文

かうて、つれづれとながむるに、などか物詣でもせざりけむ。母いみじかりし古代の人にて、「初瀬には、あなおそろし。奈良坂にて人にとられなばいかがせむ。石山、関山越えていとおそろし。鞍馬はさる山、率て出でむいとおそろしや。親上(のぼ)りて、ともかくも」

と、さしはなちたる人のやうにわづらはしがりて、わづかに清水に率てこもりたり。それにも例のくせは、まことしかべいことも思ひ出されず。

彼岸のほどにて、いみじう騒がしうおそろしきまでおぼえて、うちまどろみ入りたるに、御帳(みちょう)のかたの犬防ぎのうちに、青き織物の衣(きぬ)を着て、錦を頭にもかづき、足にもはいたる僧の、別当とおぼしきが寄り来て、

「行くさきのあはれならむも知らず、さもよしなし事をのみ」と、うちむつかりて、御帳のうちに入りぬと見ても、うちおどろきても、かくなむ見えつるとも語らず、心にも思ひとどめてまかでぬ。

母、一尺(いっさく)の鏡を鋳させて、え率(ゐ)て参らぬかはりにとて、僧を出だし立てて初瀬に詣でさすめり。「三日さぶらひて、この人のあべからむさま、夢に見せたまへ」などいひて、詣でさするなめり。そのほどは精進せさす。

この僧帰りて、「夢をだに見で、まかでなむが、本意なきこと。いかが帰りても申すべきと、いみじうぬかづきおこなひて、寝たりしかば、御帳の方より、いみじうけだかう清げにおはする女の、うるはしくさうぞきたまへるが、奉りし鏡をひきさげて、

『この鏡には、文(ふみ)や添ひたりし』と問ひたまへば、かしこまりて、『文もさぶらはざりき。この鏡をなむ奉れとはべりし』と答へたてまつれば、『あやしかりけることかな。文添ふべきものを』とて、

『この鏡を、こなたにうつれる影を見よ。これ見ればあはれに悲しきぞ』とて、さめざめと泣きたまふを見れば、臥しまろび泣き嘆きたる影うつれり。

ものはかなき心にも、つねに、「天照御神(あまてるおほんかみ)を念じ申せ」といふ人あり。いづこにおはします神、仏にかはなど、さはいへど、やうやう思ひわかれて、人に問へば、

「神におはします。伊勢におはします。紀伊(き)の国に、紀伊の国造(こくぞう)と申すはこの御神なり。さては内侍所にすくう神となむおはします」といふ。

伊勢の国までは思ひかくべきにもあらざなり。内侍所にも、いかでかは参り拝みたてまつらむ。空の光を念じ申すべきにこそはなど、浮きておぼゆ。

親族(しぞく)なる人、尼になりて修学院(すがくいん)に入りぬるに、冬ごろ、

涙さへ ふりはへつつぞ 思ひやる 嵐吹くらむ 冬の山里

かへし、

わけてとふ 心のほどの 見ゆるかな 木陰をぐらき 夏のしげりを

語句

■かうて 「かくて」の音便。 ■せざりけむ しなかったのだろう。後悔の念をあらわしている。 ■古代の人 昔かたぎの人。 ■初瀬 奈良県桜井市初瀬町。長谷寺が十一面観音信仰で有名。 ■石山 滋賀県大津市の石山寺。紫式部が『源氏物語』の着想を得たという伝説で有名。 ■関山 逢坂山。大津市の西。蝉丸の歌が有名。 ■鞍馬 京都市左京区鞍馬山の鞍馬寺。毘沙門天をまつる。 ■親 作者の父。 ■さしはなちたる人 ほったらかしにした人。放置した人。 ■清水 京都市左京区清水寺。都からとても近い。 ■例のくせ 物語に耽溺し空想にふけること。 ■まことしかべいこと 「まことしかるべきこと」の音便。観音様にお祈りしたり経を読むこと。 ■彼岸 お彼岸。春分・秋分の日を中日にして、前後三日間。 ■御帳 仏前にたらした幕。 ■犬防ぎ 仏殿の区切りにおいた低い柵。 ■むつかりて 不機嫌になって。 ■精進 身を清め魚肉などを避けること。 ■仏にかはなど 「思ひ」が省略されている。 ■思ひわかれて 分別がついて。 ■国造と申すは 紀伊の国造と申すが崇め奉るは…といった意味の言葉が省略されている? ■国造 大化の改新・ネ前の世襲の地方官。 ■内侍所 賢所(かしこどころ)。宮中の温明殿(うんめいでん)。神鏡を安置している所。内侍(女官)が仕えていたので内侍所という。また神鏡そのものを内侍所ということも。 ■すくう神 守宮神。天皇を守護する神。鏡のこと。 ■浮きておぼゆ 浮ついたことを考えていた。のんきに考えていた。 ■修学院 京都市左京区修学院にあった寺。 ■ふりはへつつぞ… 「ふり」は涙が「降る」から、「ことさら」という意味の「ふりはへ」を導く。 ■わけて 「踏み分けて」と「とりわけ」を掛ける。

現代語訳

このように、なすこともないままにぼんやりと過ごしていて、どうして物詣くらいしなかったのだろう。

母はたいそう昔気質な人で、「初瀬はひどく恐ろしい。奈良坂で人さらいにあったらどうしますか。石山寺は、逢坂山を越えて行くのでひどく恐ろしい。鞍馬はもちろん恐ろしい。お前を連れて行くなんて、ひどく恐ろしいことですよ。父上が上京してこられたら、とにかくも…」

と、私をほったらかしの人のようにわずらわしがって、わづかに清水に連れて行って籠った。それにも例の私の空想癖のせいで、本来やるべき祈願にも集中できず、彼岸のほどなので、たいそう人が多く騒がしく恐ろしいとまで思われて、うとうととまどろんだ所、

御帳の方の犬防ぎの内側に、青い織物の衣を着て、錦を頭にもかづき、足にもはいた僧が、この寺の別当と思われる僧が私に寄ってきて、

「行く末どんな悲しい運命が待ってるとも知らず、そのようにたわいもないことばかりに没頭して…」

と、不機嫌がって、御帳の内側に入ったと見ても、目が覚めてからも、このような夢を見たことも人にも語らず、心にも思いとどめず、清水寺を後にした。

母は、直径一尺の鏡を鋳させて、私を初瀬詣でに連れていけないかわりに、僧を代理人として立てて、初瀬に参詣させたらしい。

「三日籠って、この人(作者)が将来どうなるか、夢に見せてください」などと言って、参詣させたようだった。

その三日間の初瀬籠りの間は、都にいる私も精進させられた。

この僧が帰って来て、「夢も見ないで寺を後にするのは不本意なこと。どうしても帰ってご報告するのだと思い、たいそう一生懸命勤行して、寝たところ、御帳の方より、たいそう気高く清らかでいらっしゃる女性が、美しく衣装を着て、あなたが奉った鏡を下げて、

「この鏡には願文は添えてありますか」

とご質問になるので、私はかしこまって、

「願文はありません。この鏡だけを奉れということです」

とお答えすると、

『奇妙なことであるな。願文を添うのがふつうであるのに」

とて、

『この鏡の、ここに映っている影を見よ。これを見ればあわれに悲しいぞ」

といってさめざめとお泣きになる。鏡を見れば、伏しまろび、泣き嘆いている影がうつっています。

『この影を見れば、たいそう悲しい。一方、こちらを見よ』

といって、もう一方に映っている影をお見せになとる、多くの御簾が晴れ晴れしい感じで、几帳を押し出した下から、色とりどりの衣の裾や裳がこぼれ出て、庭では梅桜が咲き鶯が木の間を鳴きわたっているのを見せて、

『これを見るのはうれしいことよ』とおっしゃった…そういう夢を見ました」

と、僧は語ったという。

当時私は、その夢の中に私の将来がどんなふうに暗示されているかなんて興味もなかったので、耳にも留めなかった。

こんなおぼつかない私にも、いつも「天照大神(あまてらすおおみかみ)をお祈り申し上げなさい」という人があった。

どこにいらっしゃる神だろう、あるいは仏だろうか、などと思い、そうはいっても、だんだん分別がついてきて、人に質問すると、

「神様でいらっしゃいます。伊勢にいらっしゃいます。紀伊の国に、紀伊の国造(こくぞう)があがめ奉っているのは、この神様です。また宮中の内侍所で守護神として崇められている神様でいらっしゃいます」という。

伊勢の国まで出かけるなど、考えることもできない。どうして参詣できよう。できない。空の太陽を拝んでいればいいかしらなどと、浮ついたことを考えていた。

親族である人が、尼になって修学院(すがくいん)にこもった時、私は冬ごろその人に、

涙さへ ふりはへつつぞ 思ひやる 嵐吹くらむ 冬の山里

涙までこぼれるほど、ことさらに貴女のことを思っています。冬の山里では嵐が吹き荒れているでしょうね。

返事。

わけてとふ 心のほどの 見ゆるかな 木陰をぐらき 夏のしげりを

生い茂った夏草を踏み分けて、あなたは私をわざわざ訪ねてきてくださいました。そして今また、あなたは冬のさなかに、私に文をくださいます、夏に訪ねてくださった時と同じ志が、そこに見えて嬉しいです。

解説:左大臣光永

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