姉の死

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原文

その五月のついたちに、姉なる人、子生みて亡くなりぬ。よそのことだに、幼くよりいみじくあはれと思ひわたるに、ましていはむかたなく、あはれ悲しと思ひ嘆かる。母などは皆亡くなりたる方にあるに、形見にとまりたる幼き人々を左右に臥せたるに、あれたる板屋のひまより月のもり来て、児(ちご)の顔にあたりたるが、いとゆゆしくおぼゆれば、袖をうちおほひて、いま一人をもかき寄せて、思ふぞいみじきや。

そのほど過ぎて、親族(しぞく)なる人のもとより、「昔の人の、かならずもとめておこせよ、とありしかばもとめしに、そのをりはえ見出でずなりにしを、今しも人のおこせたるが、あはれに悲しきこと」とて、かばねたづぬる宮といふ物語をおこせたり。まことにぞあはれなるや。かへりごとに、

うづもれぬ かばねを何に たづねけむ 苔の下には 身こそなりけれ

乳母(めのと)なりし人、「今は何につけてか」など、泣く泣くもとありける所に帰りわたるに、

「ふるさとに かくこそ人は 帰りけれ あはれいかなる 別れなりけむ」

昔の形見には、いかでとなむ思ふ」など書きて、「硯の水の凍れば、みなとぢられてとどめつ」といひたるに、

かき流す あとはつららに とぢてけり なにを忘れぬ かたみとか見む

といひやりたる返事(かえりごと)に、

なぐさむる かたもなぎさの 浜千鳥 なにかうき世にあともとどめむ

この乳母、墓所見て、泣く泣くかえりたりし。

昇りけむ 野辺は煙も なかりけむ いづこをはかと たづねてか見し

これを聞きて継母なりし人、

そこはかと知りてゆかねど先に立つ涙ぞ道のしるべなりける

かばねたづぬる宮おこせたりし人、

住みなれぬ 野辺の笹原 あとはかも なくなくいかに たづねわびけむ

これを見て、せうとは、その夜おくりに行きたりしかば、

見しままに もえし煙はつきにしを いかがたづねし 野辺の笹原

雪の日をへて降るころ、吉野山に住む尼君を思ひやる。

雪降りて まれの人めも たえぬらむ 吉野の山の 峰のかけみち

語句

■亡くなりたる方 姉の遺体を安置してある部屋。 ■ゆゆし 不吉だ。 ■そのほど 姉の四十九日。 ■昔の人 死んだ姉のこと。 ■かばねたづぬる宮 「三の御子」という貴公子が、通っていた女が入水自殺したので、その屍(かばね)を探すが見つけられず、世をはかなんで出家するという話。現存しない。 ■うづもれぬ… 「ぬ」は打消の助動詞。 ■「今は何につけてか」 とどまるべき理由が無いこと。頼りが無いこと。 ■もとありける所 実家。 ■いかで 何とかして。 ■なぐさむる… 「かた」は「方(方法)」と「潟」。「なぎさ」は「渚」と「無き」を掛ける。「かた」「なぎさ」「うき」「あと」は縁語。 ■そこはかと… 「はか」は目印という意味と、「墓」を掛ける。 ■雪降りて… 「かけみち」は険しい道。

現代語訳

その五月の朔日に、姉である人が子を産んでから亡くなった。よその人のことでさえ、幼い頃から人の死というものは大変悲しいことと思い続けてきた私なのに、まして血を分けた姉の死だ。

言いようもなく悲しく思い嘆いた。母たちは皆姉の遺体を安置してある部屋にいたので、姉が遺した幼い子供たちを私は左右に寝かせていたところ、荒れ果てた屋根の隙間から月の光が漏れ差してきて、子供の顔に当たるのが、たいそう不吉に思えたので、袖を覆って、もう一人をもかき寄せて、深く思いに沈むのだった。

姉の法要の時期が過ぎて、親族のもとから、「亡くなった貴女の姉君が、必ず手に入れて送ってくださいと言っていたから手に入れたのを、姉君の生前は結局手に入れることができなかったのを、今になって人が送ってきたてのが、哀れに悲しいことです」といって、「かばねたづぬる宮」という物語を送ってきた。私は歌を返した。

うづもれぬ かばねを何に たづねけむ 苔の下には 身こそなりけれ
(埋もれることもなく残っていた「かばねたずぬる宮」などという不吉な物語を、どうして姉は探していたのでしょう。探していたその姉こそ、苔の下に埋もれて、死んでしまったのに)

姉の乳母である人が、「今はここにとどまるべき理由もありません」などと言って泣く泣く実家に帰っていくのに、

「あなたはこうして、実家に帰っていく。哀しい。なんという悲しい別れなのでしょう。

亡き姉をしのぶ形見に、どうにかとどまってほしいと思います」など書いて、「硯の水も凍ってしまったので、文字も私の心も閉じられて、何も書くことができません」と書き送った返事に、

なぐさむる かたもなぎさの 浜千鳥 なにかうき世にあともとどめむ
(干潟の浜千鳥が足跡を残すすべが無いように、私はここに残っていても、姉君を思い出すすべも無いのです。どうして留まっておれましょうか)

この乳母子は姉の墓所を見て、泣く泣く帰っていった。それについて私が詠んだ。

昇りけむ 野辺は煙も なかりけむ いづこをはかと たづねてか見し

亡き人が煙となって立ち上っていった野辺にはもう何の目印も残っていないのに、どうして墓の場所を訪ねていって、その墓を見たることができたのだろうか。

これを聞いて継母であった人が、

「そこが墓だよと確かな見当も無かったでしょうけど、先立つ涙こそ道しるべだったのでしょう」

『かばねぬづぬる宮』という物語を贈ってくれた方が、

住みなれぬ 野辺の笹原 あとはかも なくなくいかに たづねわびけむ
(人も住み慣れない野辺の笹原は目印とて無く、泣く泣く乳母は墓を訪ねていったのでしょう)

これを見て私の兄が、姉の葬送をした夜のことを思い出して、

見しままに もえし煙はつきにしを いかがたづねし 野辺の笹原
(見ているうちにすぐに火葬の煙は燃え尽きてしまったのに。乳母はどうやって野辺の笹原を訪ねていったのだろう)

何日も雪が降り続けるころ、吉野山にすむ尼のことが思いやられた。

雪降りて まれの人めも たえぬらむ 吉野の山の 峰のかけみち
(雪が降ると、まれの人の訪れも絶えてしまうだろう。吉野山の峰の険しい道では)

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解説:左大臣光永

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