わが家の庭 六角堂の遣水の夢
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原文
五月ついたちごろ、つま近き花橘の、いと白く散りたるをながめて、
時ならずふる雪かとぞながめまし花たちばなの薫らざりせば
足柄といひし山の麓に、暗がりわたりたりし木のやうに、茂れる所なれば、十月ばかりの紅葉、四方(よも)の山辺よりもけにいみじくおもしろく、錦をひけるやうなるに、外より来たる人の、「今、まゐりつる道に、紅葉のいとおもしろき所のありつる」といふに、ふと、
いづこにも劣らじものをわが宿の世をあきはつるけしきばかりは
物語のことを、昼は日ぐらし思ひつづけ、夜も目のさめたるかぎりは、これをのみ心にかけたるに、夢に見るやう、
「このごろ皇太后宮(こうたいこうぐう)の一品(いっぽん)の宮の御料に、六角堂に遣水(やりみず)をなむつくる」といふ人あるを、「そはいかに」と問へば、
「天照大神(あまてるおおんかみ)を念じませ」といふと見て、人にも語らず、なにとも思はでやみぬる、いといふかひなし。春ごとに、この一品の宮をながめやりつつ、
さくと待ち散りぬとなげく春はただわが宿がほに春を見るかな
語句
■せば 「せば~まし」で反実仮想。それが倒置法になっている。 ■足柄 上総から上京する途中での足柄山が念頭にある。「相模より駿河へ 足柄山の遊女」 ■けに 一段と。 ■世をあきはつる 「飽き」に「秋」をかけた。 ■皇太后宮 道長の三女妍子(けんし)。三条天皇の皇后となり、三条天皇崩御後、寛仁二年(1018年)10月より皇太后宮。 ■一品の宮 三条天皇第三皇女。母は妍子。この年十歳で春宮に入内。春宮は後に即位して後朱雀天皇となる。後三条天皇を生む。 ■御料 御用。 ■六角堂 京都市中京区堂之前町の頂法寺。本堂が六角形なので六角堂という。華道、池坊の発祥の地としても知られる。「六角通」の名前の由来。 ■遣水 庭に水を引き入れて流れるようにしたもの。 ■天照大御神 高天原の最高神。 ■
現代語訳
五月のはじめごろ、軒端近い花立花が、たいそう白く散っているのを眺めて、
時節にあわず降る雪かと見るところだった。花橘の香りがなければ。
足柄という山の麓に、暗がり渡っていた木のように、わが家の庭は木がうっそうと茂っているところなので、十月ごろの紅葉は、四方の山辺よりも一段とたいそう趣深く、錦をひきわたしたようであるのに、外から訪ねてきたお客さんが「今、まいった道に、紅葉がたいそう趣深く咲いている所がありました」というのに、ふと、
どこにも負けないのに私の宿の秋の暮れの景色ばかりは。いつまで見ていても飽きないのに。
物語のことを、昼は一日中思い続け、夜も目の覚めている限りは、こればかり心にかけていた所、夢に見ることに、
「このごろ、皇太后宮さまの御子の一品の宮の御用として、六角堂に遣水を作りました」という人があるのを「それはどういうこと」と尋ねると、
「アマテラスオオミカミをご信仰なさい」という。そんな夢を見ながら、人には語らず、何とも思わないで終わってしまった。たいそう、どうしようもない。春が来るたびに、この一品の宮の庭を眺めつつ、
春が来る前はいつ桜が咲くかしらと待ちわびるし、桜が散ってしまっては散ったと嘆く春の間は、私はまるで自分の家のように宮さまのお屋敷の桜をながめているものだなあ。
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