吉野
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独よし野ゝおくにたどりけるに、まことに山深く、白雲峯に重り、烟雨谷を埋ンで、山賤の家処ゝにちいさく、西に木を伐る音東にひゞき、院ゝの鐘の声は心の底にこたふ。むかしより、この山に入て世を忘たる人の、おほくは詩にのがれ哥にかくる。いでや、唐土の廬山といはむも、またむべならずや。
ある坊に一夜をかりて
碪打て我にきかせよや坊が妻
現代語訳
一人で吉野の奥をたどっていくと、まことに山が深く、白い雲が峯に重なり、霧雨が谷を埋めて、木こりの家が所々に小さく見え、西に木を切る音が東に響き、寺寺の鐘の音が心の底に染み入る。昔から、この山に入って俗世間を忘れた人の、多くは詩に逃れ歌に隠れた。いやまったく、唐土の廬山というのも、またもっともなことだ。
ある僧坊に一夜を借りて、
碪打て我にきかせよや坊が妻
砧を打って私に聞かせてくれ。坊の妻よ。
語句
◆烟雨…霧雨。 ◆山賤…木こり。 ◆いでや…いやまさに。 ◆廬山…中国江西省にある名山。古来、文人・僧などが隠棲した。李白も白楽天も隠棲していた。 ◆坊 僧坊。 ◆「碪打て~」 季語は「碪(砧)」で冬。「みよし野の山の秋風さ夜ふけて古里寒く衣うつなり」(飛鳥井雅経)。「万戸衣ヲ打ツノ声」(李白「子夜呉歌」)。
西上人の草の庵の跡は、奥の院より右の方ニ町計わけ入ほど、柴人のかよふ道のわづかに有て、さがしき谷をへだてたる、いとたふとし。彼とくゝの清水はむかしにかはらずとみえて、今もとくゝと雫落ける。
露とくゝ心みに浮世すゝがばや
現代語訳
西行上人の草の庵の跡は、奥の院より右の方へ二町ほど分け入っていくうちに、柴刈りの人が通う道がわずかにあって、けわしく切り立った谷を隔てている。たいへん尊い。西行の歌にある、あの「とくとくの清水」は、昔に変わらずと見えて、今もとくとくと雫が落ちている。
露とくゝ心みに浮世すゝがばや
とくとくと流れ落ちる雫で、試みに浮世の塵を洗い流してみようか。
語句
◆西上人…西行上人。 ◆柴人…柴刈りをする人。 ◆さがしい けわしく切り立っている。 ◆とくとくの清水…「とくとくと落つる岩間の苔清水くみほすほどもなきすまひかな(とくとくと流れ落ちる岩間の苔清水はわずかな水量だが、それでも私のすまいは一人暮らしで、わずかな清水さえ十分すぎるほどだよ)」(西行)
若是、扶桑に伯夷あらば、必口をすゝがん。もし是、許由に告ば、耳をあらはむ。
山を昇り坂を下るに、秋の日既に斜になれば、名ある所ゝみ残して、先、後醍醐帝の御廟を拝む。
御廟年経て忍ぶは何をしのぶ草
現代語訳
もし日本に伯夷があれば、必ずこの清水で口をすすぐだろう。もし許由にこの清水のことを告げれば、耳を洗うだろう。
山を昇り坂を下ると、秋の日がすでに傾いてきたので、多くの名所を見残して、まず後醍醐天皇の御廟を拝む。
御廟年経て忍ぶは何をしのぶ草
後醍醐帝の御陵は長い年月を経て、しのぶ草が這ってからまっている。しのぶ草はいったい何を忍んでいるのだろうか。
語句
◆扶桑…日本のこと。もとは巨木の意味。中国の伝説で東の海の果てにある国(日本)。 ◆伯夷…中国殷の人物。周の武王が殷を討つ不義をいさめたが容れられなかったので、首陽山(中国陝西省の山)に隠棲し蕨で餓をしのいだが餓死した。 ◆許由…中国の伝説的な王、尭から王位を譲ると言われ、嫌なことを聞いたと潁川(えんせん。中国河南省の川)で耳を洗った。高潔な人物。 ◆後醍醐帝…(1288~1339) ?南北朝時代の天皇。吉野で南朝を開いた。52歳で吉野で崩御。その御陵は如意輪寺の裏山塔の尾にある。
野ざらし紀行 地図2
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