伊賀上野

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長月の初、古郷に帰りて、北堂の萱草も霜枯果て、今は跡だになし。何事も昔に替りて、はらからの鬢白く眉皺寄て、唯「命有て」とのみ伝て言葉はなきに、このかみの守袋をほどきて、「母の白髪おがめよ、浦島の子が玉手箱、汝がまゆもやゝ老たり」と、しばらくなきて、

手にとらば消んなみだぞあつき秋の霜

現代語訳

九月のはじめ、故郷伊賀上野に帰ってみると、母が亡くなってからすでに久しく、その名残すらない。何事も昔とかわって、兄や姉妹の髪の毛は白く、眉には皺が寄り、ただ「生きてさえいれば」とだけ言って言葉は無く、兄が守り袋をほどいて、「母の形見の白髪を拝みなさい。それにしてもお前の帰省は久しぶりで、お前にとっては浦島が玉手箱を開けるようなものだね。お前の眉もだいぶ白くなったね」と、しばらく泣いて、

手にとらば消んなみだぞあつき秋の霜

母の遺髪を手に取ると、熱い涙で消えてしまうのではないか。秋の霜のように。

語句

◆古郷…伊賀上野(現三重県上野町)芭蕉は29歳寛文12年(1672年)故郷伊賀上野を後に江戸に出た。 ◆北堂の萱草…ほくどうのけんそう。中国で家に北側にある堂で、母が住むものだった。その庭には萱草(わすれぐさ)を植えた。転じて、「母」のこと。 ◆はらから…兄弟姉妹。芭蕉には兄半左衛門のほか、姉一人、妹三人がいた。 ◆このかみ…長兄半左衛門。 ◆浦島の子が玉手箱…芭蕉の久しぶりの帰郷を浦島が玉手箱を開ける昔話にたとえた。


野ざらし紀行 地図2

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解説:左大臣光永