江戸・箱根

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千里に旅立て、路粮をつゝまず、「三更月下無何に入」と伝けむ、むかしの人の杖にすがりて、貞享甲子秋八月、江上の破屋をいづる程、風の声、そゞろ寒げ也。

野ざらしを心に風のしむ身哉

秋十とせ却て江戸を指す故郷

現代語訳

千里の旅に旅立つに先駆けて、しかし道中の食料も包まず、「真夜中に月の下、何の作為もなく悟りの境地に至ろう」と言ったという、昔の人の杖にすがって、貞享甲子秋八月、隅田川沿いのあばら家を出る時、風の音が、なんとなく心惹かれる感じで寒々していた。

野ざらしを心に風のしむ身哉

旅の途中で道端に髑髏をさらすことになるかもしれない。それくらいの覚悟で旅立つのだ。風がつめたく、身にしみるよ。

秋十とせ却て江戸を指す故郷

江戸に来てから十回目の秋を迎える。今、故郷伊賀上野に向けて旅立つのだが、もとは異郷だったはずの江戸のことが、かえって懐かしく、第二の故郷ともいうべき場所に思われる。

語句

◆千里…「千里ニ適(ユ)ク者ハ三月糧ヲ聚(アツ)ム」。 ◆路粮…道中の食料。 ◆三更月下無何に入…「三更」は夜を五つの時間帯に分けた「五更」の三番目。午後11時または午前零時からの2時間。「無何」は自然のままで何の操作もしないこと。中国の禅僧広聞の句に「路粮(かて)ヲ齋(つつ)マズ笑ツテ復(ま)タ歌フ。三更月下無何二入ル」(『江湖風月集』)とあるのによる。 ◆貞享甲子…1684年。 ◆江上の破屋…隅田川沿いの庵。天和2年(1183年)の火事の後、再建された。第二芭蕉庵。 ◆「野ざらしを…」…「野ざらし」は道端に捨て去られた髑髏。季語は「身にしむ」で冬。 ◆「秋十とせ…」… 芭蕉は寛文12年(1672年)故郷伊賀上野を出発し、ここまで12年間江戸に住んだ。


関こゆる日は雨降りて、山皆雲にかくれたり。

霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き

何某ちりと伝けるは、此たびみちのたすけとなりて、万いたはり、心をつくし侍る。常に莫逆の交ふかく、朋友信有哉、此人。

深川や芭蕉を富士に預行 ちり

現代語訳

箱根の関を越える日は雨が降って、山は皆雲に隠れた。

霧しぐれ富士をみぬ日ぞ面白き

霧雨が降って富士が見えないが、かえって富士が見えないこの景色も趣深い。

某千里という人物は、今回旅の助けをしてくれて、いろいろなことを労わってくれ、心をつくしてくれる。常に親しく分け隔ての無い、深い交際をしてくれる。友人に対して誠実であるとは、この人のことを言うのだろう。

深川や芭蕉を富士に預行 ちり

深川の庵の前に繁っていた芭蕉の木。置いていくのは心残りだが、しばらく庵の前に開けている富士山の景色の前にあの芭蕉を預け置いて、私たちは旅立つとしよう。

語句

◆関…箱根の関。 ◆「霧しぐれ…」…季語は「霧しぐれ」で秋。 ◆ちり…芭蕉の門人。苗村千里(1648-1716)大和国葛下郡竹内村の人で浅草に住む。通称は粕屋甚四郎,油屋嘉右衛門。芭蕉より4歳年下でこの年37歳。 ◆莫逆…心にへだてない親密な間柄。 ◆朋友信有哉…友人に対して誠実であること。「朋友と交りて信ならざりしか…」(『論語』「学而」)。 ◆「深川や…」 季語は「芭蕉」で秋。


野ざらし紀行 地図1

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解説:左大臣光永