大和路
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衣更
一つぬひで後に負ぬ衣がへ
吉野出て布子売りたし衣がへ 万菊
灌仏の日は奈良にて爰かしこ詣侍るに、鹿の子を産を見て、此日におゐてかしければ、
灌仏の日に生れあふ鹿の子哉
現代語訳
衣更
一つぬひで後に負ぬ衣がへ
衣更といっても、重ね着を一枚脱いで後ろに背負うだけだ。身軽なことだ。
吉野出て布子売りたし衣がへ 万菊
吉野を出たら衣更を過ぎて不要になった布子を売ってしまいたい。 万菊丸
灌仏の日に生れあふ鹿の子哉
灌仏の日は奈良であちこちの寺院に詣でてまわったところ、鹿が子を産むのを見て、釈迦が生まれたこの日に子を産むとはありがたいことだと、
灌仏の日にめでたくも生まれた鹿の子だよ
語句
◆衣更 陰暦4月1日。 ◆「吉野出て~」 「布子」は木綿の綿入れ。衣更で脱いだ。実際に売った。 ◆灌仏 陰暦四月八日釈迦の誕生日。
灌仏の日に生れあふ鹿の子哉
奈良
招提寺鑑真和尚来朝の時、船中七十余度の難をしのぎたまひ、御目のうち塩風吹入て、終に御目盲させ給ふ尊像を拝して、
若葉して御めの雫ぬぐはばや
現代語訳
唐招提寺を開基された鑑真和尚は来朝の時、船に乗って七十数回の難をしのがれ、御目のうちに潮風が吹き入って、ついに失明された、その尊像を拝して、
若葉して御めの雫ぬぐはばや
この清らかな若葉で、御目の涙の雫を、おぬぐいいたしたいものです。
語句
◆招提寺 唐招提寺。奈良市五条。来朝した鑑真和尚によって開基された。 ◆鑑真和尚 日本からの留学生栄叡・普照の呼びかけにこたえ来朝を試みるも、度重なる難破や密告によって来朝をはばまれる。11年後ようやく来朝。754年日本で初の登壇受戒をほどこすが、その時すでに目の光を失っていた。その後、戒律を学ぶ僧が修行するための道場を築き、これが後の唐招提寺となる。 ◆尊像 いまも唐招提寺の開山堂に安置されている。
旧友に奈良にてわかる。
鹿の角先一節のわかれかな
大坂にてある人のもとにて、
杜若語るも旅のひとつ哉
現代語訳
旧友に奈良で別れる。
鹿の角先一節のわかれかな
鹿の角は晩春から夏にかけて生え替り、その節目ごとに新しい枝がわかれるが、そんなふうに、貴方ともここでお別れだ。
大坂にてある人のもとにて、
杜若語るも旅のひとつ哉
杜若を前に、『伊勢物語』の杜若の条の話をしたり、貴方といろいろと心を通わせるのです。こういうことこそ、旅の醍醐味です。
語句
◆「鹿の角~」 鹿の角は晩春から夏にかけて生え出し、節目ごとにそこから新しく枝分かれする。その節を「わかれ」といった。
◆大坂 「おおざか」と読む。4月13日から19日まで大阪滞在。難波の一笑を訪ねた。 ◆「杜若~」 『伊勢物語』八橋の条に、「「かきつばた」という五文字をそれぞれの句の頭に折り込んで歌を作れ」といわれて主人公が詠んだ。「からころもきつつなれにし妻しあればはるばる来ぬる旅をしぞ思ふ」。