旧里

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師走十日余、名ごやを出て旧里に入らんとす。

旅寐してみしやうき世の煤はらひ

「桑名よりくはで来ぬれば」と伝日永の里より、馬かりて杖つき坂上るほど、荷鞍うちかへりて馬より落ちぬ。

徒歩ならば杖つき坂を落馬哉

と物うさのあまり伝出侍れ共、終に季ことばいらず。

現代語訳

師走十日余り、名古屋を出て故郷伊賀上野に入ろうとする。

旅寐してみしやうき世の煤はらひ

あちこちで旅寝を重ねてきたが、ふと見ると今日は煤払いの日で、どの家でも忙しく掃除をしている。私もこんな浮世離れした生活をしているが、昔は煤払いをやったなあ。故郷のこと、家族のこと、しみじみ思い出される。

「桑名よりくはで来ぬれば」という日永の里から、馬を借りて杖つき坂を上る時、荷物を載せる鞍がひっくり返って落馬してしまった。

徒歩ならば杖つき坂を落馬哉

徒歩ならばその名のとおり杖をついて上るのに。よりにもよって杖つき坂で落馬してしまうとは。

といまいましさのあまり句を作ったが、とうとう季語は入れられずじまいだった。

語句

◆旧里…芭蕉の故郷伊賀上野。現三重県。 ◆「旅寐して~」…「煤払い」は十二月十三日に行われた。新年を迎えるにあたって、家の内外の大掃除をし、その年の厄を払う意味がある。 ◆「桑名よりくはで来ぬれば」…「桑名よりくはで来ぬればほし川の朝けは過ぬ日永なりけり」(『名所方角抄』)。下句を「朝けはすぎて日ながにぞ思ふ」とするものも(『古今夷曲集』)。 ◆日永の里…三重県四日市市日永。 ◆杖つき坂…四日市市采女町から鈴鹿氏石薬師町へ越える坂。 ◆


旧里や臍の緒に泣としの暮

宵のとし、空の名残おしまむと、酒のみ夜ふかして、元日寐わすれたれば、

二日にもぬかりはせじな花の春

初春

春立てまだ九日の野山哉

枯芝ややゝかげろふの一ニ寸

現代語訳

旧里や臍の緒に泣としの暮

久しぶりに故郷にもどって、母が残しておいてくれた臍の緒をしみじみと見た。年が暮れるとまた私も一つ年を取る。亡くなった父母のことが思い出され、さまざまな感慨がこみ上げて、涙があふれてくる。

大晦日の夜は、今年最後の空の名残をおしもうと、酒を飲んで夜更かしして、元日の朝は寝坊してしまい、

二日にもぬかりはせじな花の春

元旦の朝は寝過ごしてしまったが、二日目の朝はぬかりなく起きよう。初春の花の喜びを祝うために。

初春

春立てまだ九日の野山哉

立春からまだ九日しか経っていないが、故郷の野山をぶらぶら歩くと、九日なりの春の気配が感じられるなあ。

枯芝ややゝかげろふの一ニ寸

初春といってもまだ野の芝は寒々と枯れたままだが、ようやく一ニ寸の陽炎が枯芝の上に立っていて春も訪れが近いことが感じられる。


古里・伊賀上野

語句

◆宵のとし…大晦日の夜。除夜。 ◆「枯芝や~」…「やや」はようやく。

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解説:左大臣光永

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