旅の賦

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跪はやぶれて西行にひとしく、天龍の渡しをおもひ、馬をかる時はいきまきし聖の事心にうかぶ。山野海浜の美景に造化の功を見、あるは無依の道者の跡をしたひ、風情の人の実をうかがふ。猶、栖をさりて器物のねがひなし。空手なれば途中の愁もなし。寛歩駕にかへ晩食肉よりも甘し。とまるべき道にかぎりなく、立べき朝に時なし。只一日のねがひ二つのみ。こよひ能宿からん、草鞋のわが足によろしきを求めんと計はいさゝのおもひなり。時々気を転じ、日々に情をあらたむ。もしわづかに風雅ある人に出合たる、悦かぎりなし。日比は古めかし、かたくなゝりと悪み捨たる程の人も、辺土の道づれにかたりあひ、はにふ・むぐらのうちにて見出したるなど、瓦石のうちに玉を拾ひ、泥中に金を得たる心地して、物にも書付、人にもかたらんとおもうぞ、又是旅のひとつなりかし。

現代語訳

かかとは傷ついて西行かというほどで、西行が天龍川で船に乗ろうとした時、満員だと鞭で頭を打たれて下ろされた。その時西行はこれも修行だと少しも怒らなかった、あの逸話を思い、馬を借りる時は、高野の証空上人が馬に乗っている時、向かいを進んでくる馬の口取りがヘタなために、すれちがいざまに堀に馬ごと落とされた。証空上人はカッとなってまくし立てたが、冷静を失った自分を恥じて逃げ帰ったという『徒然草』の話が心にうかぶ。

山や野、海や浜の美しい景色に天地創造のわざを見て、あるいは物に執着しない煩悩を消し去った昔の修行者たちの跡をしたい、風情を解する人の心の実をうかがう。

また、住居を捨て去って物欲も無い。手ぶらなので旅の途中物をとられる心配もない。車に乗るよりゆっくり歩くほうがいい。腹がへってから食事をすれば、どんな粗末な食事も肉よりも美味しくなる。どこで泊まるのも自由。朝いつ出発するかも自由。

そんな中にも一日の願いが二つだけある。今夜いい宿を借りよう。足にぴったりあう草鞋がほしい。こればかりはささやかな願いである。

時によって気分を変え、日々に思いを改める。もし少しでも風情ある人に出会ったら、たいへんな喜びだ。また日ごろは古めかしく頑固な人だと毛嫌いして付き合いを持たなかった人でも、片田舎への旅の道連れとなって語り合い、粗末な埴生の宿やつる草のはいしげったあばら屋に泊まって緒に語らっているうちに、意外と風流な人だとわかったりする。

これなどは、瓦礫のうちに玉を拾い、泥の中に金を得たような心地がして、紙に句を書きつけ、人にも語ろうと思う。これまた旅の醍醐味の一つだろう。

語句

◆「踵」の誤記。かかと。 ◆天龍…天龍川は長野から静岡、太平洋へ注ぐ大河。西行が天龍川で船に乗ったところ、満員だといって頭を鞭で打たれ下ろされたがこれも仏道修行だといって少しも怒らなかった逸話に基づく(『西行物語』)。 ◆馬をかる…借る? ◆いきまきし聖…高野の証空上人が京へ向かう途中、狭い道で、女の乗った馬とすれ違った。しかし口取りの腕が悪いために、上人の乗った馬は上人ごと堀に落とされてしまった。なんと無礼なと上人はまくし立てるが、やがて冷静を失っていたと気づき、逃げ帰った(『徒然草』106段)。 ◆造化の功…天地創造のわざ。 ◆無依の道者…物に執着しない、煩悩を脱した修行者。 ◆寛歩…ゆっくり歩くこと。「無事当貴、早寐当富、安歩当車、晩食当肉」(『書言字考? ̄用集』に「居窮四昧」として)。 ◆晩食…空腹になってから晩く食べる食事(すると、肉よりもおいしく感じられる)。 ◆辺土…片田舎。 ◆はにふ…埴生の小屋。粗末な家。

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解説:左大臣光永

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