小督

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葵の前

「葵…葵…なぜ朕を残して死んだのか…」

平安時代も末に近い、平清盛が権力をふるっていた時代のことです。

高倉天皇は長いこと思い悩んでおられました。
昼は政務にも顔を出さず御寝所にお引きこもりになり、
夜は清涼殿で月の光をご覧になっては、
涙にむせばれるばかりでした。

原因は…宮中の誰もが知っていました。

現在の嵯峨野目抜き通り
現在の嵯峨野目抜き通り

渡月橋
渡月橋

高倉天皇が深く寵愛していた少女が死んだのでした。

少女の名を葵といいます。

高倉天皇は深く葵を寵愛されましたが、
しかし葵は身分が低く、素性もハッキリせず、
後宮に入れることには問題がありました。
そこで大臣の一人が提案しました。

「まず葵の前を私の養子にしましょう。
そうすれば形式上しっかりした血筋になりますので、
はじめて後宮に入れればよいのです」

しかし高倉天皇はおっしゃいました。

「そのようなことは、
世のそしりを招くもとである。
やはり葵の前のことは諦めたほうが、よいようだ」

その後、高倉天皇は葵の前と会うことを避けるようになっていきました。

ところが天皇の寵愛を失ったと思った葵の前は嘆き悲しむあまり、
死んでしまいました。

「すまぬ…葵…。
こんなことになるなるなんて…」

以後、高倉天皇は葵の前のことが忘れられず、
日々思い悩み、引きこもりがちになっておられたのでした。

現在の嵯峨野 地図
現在の嵯峨野 地図

徳子の苦悩

(こんな時こそ正妻である私がお慰めしなくては。
だけど…)

高倉天皇の中宮、建礼門院徳子は、平清盛の娘です。
清盛は平家政権の安泰のために、なかば強引に徳子を
高倉天皇に嫁がせました。

これで徳子に男子が生まれ、天皇になれば、
平家は天皇家の外戚ということになり、
その権力はゆるぎないものとなります。

いわば完全な政略結婚です。高倉天皇もそのことは
よくご存知でしたので、けして徳子に御心を許されることは
ありませんでした。

徳子個人に悪気は無いとわかっていても、徳子を通じて
平家に監視されているような、嫌な感じを
ぬぐい切れないでいらっしゃいました。

徳子は、自分の無力を認めるほかありませんでした。

(こうなっては仕方がありません。
私にできないなら…
一番信頼のできる女房にお願いしましょう)

建礼門院は、召し使っている女房たちの中から、
小督を召しだします。

小督は、数々の政治改革を断行した少納言入道信西の孫で、
風流人として知られる桜町中納言
藤原成範(ふじわらのしげのり)の娘です。

宮中一の美人のほまれ高く、また琴の名手でもありました。

小督を前に建礼門院は語ります。

「知っての通り、主上は私にお心を開いてはくださりません。
でもこのまま主上が思い沈まれたままでは…
民は不安になり、国は傾きましょう。
小督や、どうか、主上のことを、お慰めしてさしあげて。
どうか、この通り」

「そんな、中宮さま、お顔を上げてくださいまし」

こうなると小督も断れませんでした。
帝のおそばに上がろうと、決意を固めます。

小督 帝のもとへ

しかし、一つ問題がありました。
小督には想い人がいたのです。

右少将藤原隆房という若者です。

しかし帝のお側にお仕えするとなると、
恋人との関係は断ち切らないといけません。
もうどうにもなりません。その夜、小督は
泣く泣く少将に別れを告げました。

しかし少将も、そう簡単に小督を
諦められるものではありませんでした。

(なんとかもう一度、やり直せないのか…
小督…小督…)

少将は宮中の、小督がいる局の前の廊下を行ったり来たり、
立ち止まったりしますが、小督の決意は固いものでした。

(私は帝にお仕えしようと決めたのです。もうあの人とは
言葉も交わさない。文も読まない)

(くっ…小督よ、どうかもう一度)

たまらず少将は懐から紙を取り出して歌を書き、
小督のいる局の中に投げ込みます。

おもひかね こゝろはそらに みちのくの
千賀のしほがま ちかきかひなし

(あまりの恋しさに耐え切れずやってきましたが、
心はうわの空です。あなたとはこんなに近くにいるというのに、
近くても会えないなら、意味が無いですよ)

(ああ…!!)

小督はすぐにも歌を返したくなりましたが、
今はもう私は帝にお仕えする身なのだとぐっとこらえ、
文を開いてみることもせず、
小間使いの少女に命じて中庭に投げ捨てます。

ポトーン…

(おお…!!)

自分の書いた文が開かれもせず投げ捨てられたのを
目の当たりにした少将は、がっくりと肩を落とし、
その場を立ち去ろうとしますが…、なお去りがたく思われ、

たまづさを 今は手にだに とらじとや
さこそ心におもひすつとも

(私の文を今は手に取ってさえくれないんですね。
いくら思い捨てているといっても、
手紙くらい受け取ってくれてもいいのに)

清盛 怒る

「憎き小督め!今すぐ召しだして、斬り殺してしまえ!」

六波羅の平清盛は、怒り狂っていました。

なにしろ高倉天皇の中宮・建礼門院は清盛の娘です。
そして右少将藤原隆房の妻も清盛の娘なのです。

ようは清盛は小督によって、二人の娘の婿を、
たぶらかされた形です。面目まるつぶれです。
清盛の立場から見ると、小督は憎んでも憎み尽くせない相手です。

小督は清盛が怒り狂っていることを伝え聞いて、
震え上がります。

(六波羅の入道相国さまは、とても恐ろしいお方ときいています。
これでは、主上にまで危害が及ぶやもしれない。
いっそ私さえいなくなってしまえば…)

小督はある暮れ方に内裏を出て、
いずことも知れず、消え去りました。

高倉天皇の嘆き

「小督、小督…どこへ行ってしまったのじゃ」

小督を失った高倉天皇は深くお嘆きになります。
昼は御寝所にお引きこもりになり、
夜は清涼殿で月の光をご覧になって、
涙にむせばれるのでした。

清盛のもとに、この話が伝わります。

「なに!主上が思い沈んでおられる?ちっ、
そんなに小督がよいのかッ!わが娘徳子を后としながら、
小督、小督、小督、小督…、よーし、
ならばこちらにも考えがあるぞ」

清盛は宮中に手をまわし、高倉天皇のお側に
お仕えしていた女房や側近たちを退かせます。

権力者平清盛にはばかって、高倉天皇のまわりからは
一人去り、二人去り…、
ついに誰もいなくなってしまいました。

八月十日

かくて八月十日あまりになります。

すみわたった夜空ですが、高倉天皇の御目は涙にくもり、
月の光も朧に覧になっていました。

夜も深くなってきた頃、高倉天皇は、

「誰かある。誰かある」

人を呼ぼうとしますが、静まり返って、
誰も答える者はありません。しばらくして、

「仲国です」

「おお仲国か。近う寄れ」

側近の、源仲国でした。
この夜、宿直で宮中に泊まっていました。

「そなた、ひょっとして小督の行方を知っているのではないか」

「まさか。どうして私にわかりましょう」

「そうか…聞くところでは、小督は嵯峨野にいるという話だか。
そなた、尋ねていってはくれぬか」

「一言で嵯峨野と申しましても、たいへん広うございます。
それだけの手がかりでは何とも…」

「そうか。確かになあ…どうにもならんか」

「…そう言えば、小督殿は琴をお弾きになりますな。
これだけ月の明るい晩ですから、宮中でのことを思い出されて、
琴を爪弾いておいでやもしれません。仲国も以前宮中で、
小督殿の琴に、笛をあわせさせていただいたことがございます。
あの見事な琴の音。どうして忘れましょう」

「では…!」

「探してまいります。しかしもし探し出せたとして…
親書がなければ話を信じてもらえないでしょう。
親書を賜れますでしょうか」

「おお、おお、わかった。すぐに」

仲国 嵯峨野へ

バカラッ、バカラッ、バカラッ…

高倉天皇の親書を賜った仲国は月の光の下、
馬に鞭をあて、嵯峨野へ走ります。

夜の嵯峨野には秋の虫が鳴きしきり、すれ違う人もなく、
たまに鹿が道を横切り、
月の光がこうこうと輝いていました。

「小督殿はここか…あそこか…」

民家をみかけるたびに仲国は手綱をゆるめ、
耳をすましますが、琴の音は聞こえません。

大覚寺・清涼寺など寺々の御堂も見てまわりますが、
小督殿に似た女房すら見付けることはできませんでした。

「やはりダメか…。
さぞかし主上はがっかりされることだろうなあ…」

仲国がとぼとぼと馬を歩ませていくと、
むこうに法輪寺の御堂が黒々と見えてきました。

「月の光に誘われて、法輪寺に参詣しておられる…
なんてとこは無いかな」

馬を走らせる仲国。その時…聞こえてきた音がありました。

『平家物語』の中でも
屈指の名文として知られる部分は、原文でどうぞ。

******************************************
亀山のあたりちかく、かすかに琴ぞ聞えける。峰の嵐か松風か、たづぬる人のことの音か、おぼつかなくは思へども、駒をはやめてゆくほどに、片折戸したる内に琴をぞひきすまされたる。ひかへて是を聞きければ、すこしもまがふべうもなき小督殿の爪音也。楽はなんぞと聞きければ、夫をおもうてこふとよむ想夫恋いふ楽也。さればこそ、君の御事思ひ出まゐらせて、楽にこそあれ、此楽をひき給ひけるやさしさよ。ありがたうおぼえて、腰より横笛(ようじょう)ぬきいだし、ちッとならいて門をほとゝとたゝけば、やがてひきやみ給ひぬ。
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小督塚
小督塚

小督塚 案内板
小督塚 案内板

小督 仲国に伝言する

「内裏より、仲国がお使いに参りました。
門を明けてください」

トントン、トントン…

しかしいっこうに返事はありません。
しばらくして中から人の出てくる気配がありました。

(おお…ありがたや)

ガチャ、ギイ…

門を細めに開け、小間使いとおぼしき可愛い
少女が顔だけを差し出して言います。

「お間違えではないですか。ここはそんな、内裏より
御使いなどたまわるような場所ではございません」

(ここで錠を閉ざされたら終わりだ…)

「ちょっと、失礼」
「あ、きゃっ、なんですかあなた、ちょっと!」

仲国は強引に中に押し入り、縁側に座って言います。

「どうしてこのような場所にお隠れになっているのです。
わが君は貴女のために、命も危うくていらっしゃいます。
この通り、親書も給わってきております」

さきほどの女房が高倉天皇の親書を取り次いで、
部屋の中の小督に渡します。

(ああ…間違いなく、わが君のご手跡…)

小督は返事をしたため、御使いとして来た仲国への
引出物として女房装束一襲ねを添えて、差出しました。
仲国はいただいた女房装束を肩にかけながら言います。

「お返事をいただいた上は私がどうこう言うことでは無いのですが…。
以前内裏で貴女が琴をお弾きになった時、
この仲国が笛のお供を勤めさせていただいたこと、
どうして忘れましょう。人づてではなく、
直接、お声をいただけませんか」

小督はもっともと思い、自ら返事をします。

「あなたも聞いているでしょう。
入道相国を恐れるあまりに内裏をまぎれ出て、
このような所に住まっておりました。

とはいえ、いつまでもこちらでお世話に
なっているわけにも参りません。

明日は大原へ移ろうと思っていましたところ、
あるじの女房が、もう夜も更けました。

立ち聞く者もいないでしょう、などと勧めるので、
宮中のことを思い出して、琴を弾いておりましたところ、
まんまと聞き出されてしまいましたね…」

小督が涙にくれると、仲国も涙を流します。
しかしすぐに仲国はハッとします。

「明日から大原へ…まさかご出家されるのですか!
なりません。主上がどれほどお嘆きになるか…
お考えください!
おい、この家から小督殿をお出ししてはならんぞ。
見張っておれ」

仲国は供の者に小督の監視を命じ、みずからは馬にうち乗って
内裏に立ち帰れば、夜はほのぼのと明けてきました。

(さすがに主上はもうお休みだろう。明日報告するか…)

ところが仲国が清涼殿のほうに参ると、
高倉天皇は昨夜と同じ御座所で、朗々と詩を詠じておられました。
仲国は高倉天皇の前に参上し、小督の言葉を伝えると、
高倉天皇は大いにお喜びになり、

「すぐに、小督を連れてまいれ」

こう仰せになるので、
すぐに牛車を用意して再び嵯峨へ向かいます。

いやだ、いやですと拒む小督をなんとかなだめすかして
車に乗せ、内裏へ連れ戻しました。

小督の追放

高倉天皇はたいそうお喜びになります。
しかし清盛の目をはばかって小督の身は
内裏の人目につかない所に隠していましたが、
夜な夜な通われるうちに姫宮がお生まれになり、
このことが、清盛に知れてしまいます。

「なにぃ!小督が姫宮を生んだ?
しゃつ!!」

すぐに六波羅から捕縛の手の者が差し向けられ、
小督を捕らえ、無理やりに出家させ、追放してしまいます。

小督は、出家はもとより望みだったとはいえ、
このような強引なやり方で尼にされ、
年二十三にて濃き墨染めにやつれ果てて尼となり、
嵯峨野に庵を結んだことは、たいそう痛ましいことでした。

高倉天皇はこのようなことにお心を痛められ、
ついに心労のあまり、崩御されたと伝えられます。

≫続き 「清盛の最期」

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