古今和歌集 仮名序

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こんにちは。左大臣光永です。週末の夕べ、
いかがお過ごしでしょうか?
私は先日新商品
「聴いて・わかる。日本の歴史~平安京と藤原氏の繁栄」を
発売いたしました。週明けから出荷予定ですので
ご注文いただいた方はしばらくお待ちください。
http://sirdaizine.com/CD/HeianInfo1.html

本日はこの商品に関連し「『古今和歌集』仮名序」
について語ります。

延喜5年(905年)、醍醐天皇の勅命で、
日本発の勅撰和歌集『古今和歌集』の編纂が始まります。

「古き歌も、今の世の新しき歌も、よき歌はみな集めて、
歌集を作るのだ。そのほうらの力を貸してくれ」

「ははっ」


http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/Kanajyo.mp3

撰者として選ばれたのは、

紀友則(きのとものり)
紀貫之(きのつらゆき)
凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
壬生忠岑(みぶのただみね)

当時を代表する四人の歌人たちでした。

最初は紀友則がリーダーでしたが、
途中で亡くなったようで、
従弟の紀貫之がリーダーを引き継ぎます。

このような勅撰和歌集が編纂されることになった背景として、
894年遣唐使の廃止があります。
長年中国の文化を輸入して、真似をしてきたけども、
ここらで日本独自のものを見直していこうじゃないかと。

8年後の延喜13年(913年)ごろ(異説あり)
『古今和歌集』は完成し、醍醐天皇に献上されました。

約150年間、約130人の歌人、
約1100首(長歌・旋頭歌以外は短歌)を全二十巻に収めます。

歌は内容ごとに春・夏・秋・冬の四季、恋の歌、
別れの気持ちを詠んだ離別歌、
旅の気持ちを詠んだ羈旅歌など13の
「部立(ぶだて)」に分類されました。

『古今集』のこの部立は、後につづく八大集、
二十一代集にも引き継がれていきます。

仮名序

序文が二つあります。

巻頭の紀貫之による序文「仮名序」と、
巻末にの紀淑望(きのよしもち)による「真名序」です。

「仮名序」は仮名で、「真名序」は漢文で書かれているという、
表現の違いのみで、内容はほぼ同じです。
歌は人の心をなぐさめる、ということが書かれています。

特に紀貫之の「仮名序」は有名で、
高校入試などでもよく出題されるところです。
学校で習った記憶がある方も多いでしょう。

やまとうたは、人の心を種として、万の言の葉とぞなれりける。
世の中にある人、ことわざ繁きものなれば、心に思ふことを、
見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり。

花に鳴く鶯、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、
いづれか歌をよまざりける。

力をも入れずして天地を動かし、
目に見えぬ鬼神をもあはれと思はせ、
男女の中をも和らげ、猛き武士の心をも慰むるは歌なり。

●現代語訳
和歌は人の心を種として、いろいろな
言葉の葉が繁ったようなものである。
この世に生きている人は、いろいろな事物に
いそがしく接しているので、
心に思うことを、見るにつけ聞くにつけ、歌に詠むのだ。

花の間に鳴く鶯、水に住む河鹿の声を聞けば、
この世に生きているもので歌を詠まないものがあろうか。

力をも入れずに天地を動かし、
目に見えない死者の霊の心にも訴えかけ、
男女の仲をなごませ、
猛々しい武士の心をもなぐさめるのは歌である。

特に現代語訳の必要も無い、
やさしい言葉で書かれていますので、
現代語訳は読みません。

サイト上には現代語訳を載せていますので、
必要ならご参照ください。

ここまでが教科書でよく採りあげられる部分ですが、
続く文章も和歌の歴史を語って興味深いので、
お読みします。

この歌、天地のひらけ初まりける時よりいできにけり。
天の浮橋の下にて、女神男神となり給へることをいへる歌なり。
しかあれども、世に伝はることは、久方の天にしては下照姫に始り、

下照姫とは、天稚御子の妻(め)なり。
兄(しゅうと)の神のかたち、
岡・谷に映りて輝くをよめる夷歌なるべし。
これらは、文字の数も定まらず、
歌のやうにもあらぬことどもなり。

あらかねの地(つち)にしては、
素戔嗚尊(すさのおのみこと)よりぞ起こりける。
ちはやぶる神世には、歌の文字も定まらず、
素直にして、言の心わきがたかりけらし。
人の世となりて、素戔嗚尊よりぞ三十文字、
あまり一文字はよみける。

素戔嗚尊は天照大神(あまてるおおんがみ)の
兄(このかみ)なり。女と住み給ふとて、
出雲国に宮造りしたまふ時に、
その所に八色の雲の立つを見てよみたまへるなり。

八雲立つ出雲八重垣妻籠めに八重垣つくるその八重垣を 

かくてぞ、花をめで、鳥をうらやみ、
霞をあはれび、露をかなしぶ心・言葉多く、
さまざまになりにける。

遠き所も、いでたつ足下より始まりて
年月をわたり、高き山も、麓の塵泥(ちりひぢ)より
なりて天雲たなびくまで生ひ上れるごとくに、
この歌もかくのごとくなるべし。

●現代語訳
和歌というものは、天地がわかれて世界ができた時から、すでにあらわれていた。天の浮橋の下で、イザナミノミコトとイザナギノミコトがご夫婦になられたことを詠んだ歌である。

しかし歌の内容が伝わっているものとしては、天上界においては下照姫(シタテルヒメ)の歌に始まる。下照姫とは天稚御子(アメノワカヒコ)の妻だ。その兄味耜高彦根神(アジスキタカヒコノカミ)の姿が岡や谷に映りこんで神々しく輝いているのを詠んだ、ひなびた歌のことだろう。

これらは文字の数も定まっていないし、歌の形式にもなっていなかった。

下界においては、スサノオノミコトが詠んだ歌がはじまりである。神世の昔には歌の文字数も一定でなく、素直に気持ちを詠んだ。言葉の意味もよくわからないものだったに違いない。

人の世となって、スサノオノミコト以降は三十字に一字くわえて三十一字の歌を詠むこととなった。

スサノオノミコトはアマテラスオオミカミの兄君であらせられる。クシナダヒメという女性とご結婚して一緒に住まれるということで、出雲国に宮殿をお建てになった。その時に八つの色に輝く雲が立ち登ったのを見て歌をお詠みになったという。

八つの色に輝く雲が立ちのぼるこの出雲の地に、幾重にも生垣で囲んで、妻を大事に取り扱おう。幾重にも生垣を作るのだ、その生垣を。

それからというもの花をめで鳥をうらやみ、霞をあわれみ、露を悲しむ心や言葉は多くなりさまざまになった。
遠い所へ行くにもまずは第一歩からはじめて長い年月にわたるように、高い山ができる時も、麓の塵・泥からはじまって空の雲まで高くなるように、歌もそのように発展していったのだ

…歌のはじまりについて語っています。

イザナキ・イザナミ夫婦が天の浮橋の下で詠んだ歌。
しかしその内容は伝わっておらず、
天においてはアメノワカヒコの妻・シタデルヒメが、
その兄の姿が美しさをたたえて詠んだ歌が最初だ。

しかしこれらの歌は文字の数も定まらず、
歌のさまも成してなかった。
地上において詠まれた歌の最初はスサノオノミコトの歌。
妻クシナダヒメをめとって出雲国に宮殿を建てた時に、
八色の雲が立つのを見て詠んだのだ。

八雲立つ出雲八重垣妻籠めに八重垣つくるその八重垣を

それからというもの花鳥風月をめでる感覚も、言葉も豊かに
なっていった。千里の道も一歩からで、スサノオノミコトの歌を
はじまりとして、歌は豊かに発展していったのだ…

『古今和歌集』仮名序について
お話しました。

さて、

『古今和歌集』編纂を命じた醍醐天皇は、
菅原道真を左遷した天皇としても有名です。
そして道真の怨霊に苦しめられて命を落とされたとも伝えられます。

今回発売しました

「聴いて・わかる。日本の歴史~平安京と藤原氏の繁栄」では、
醍醐天皇や菅原道真についてもジックリ語っております。
http://sirdaizine.com/CD/HeianInfo1.html

桓武天皇による長岡京・平安京遷都から、
勢いをのばす藤原氏、摂関政治の全盛期を経て、白河上皇による
院政のはじまる直前まで約300年間の歴史を語っています。

声による、語りによる日本の歴史。

生涯学習の一環として、またお子さんやお孫さんに歴史に
興味を持たせる入口としても、どうぞ。
リンク先でより詳しい解説音声を公開しています。
ぜひ聴きにいらしてください。
http://sirdaizine.com/CD/HeianInfo1.html

本日も左大臣光永がお話しました。
ありがとうございます。

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