清盛の最期
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福原への遷都計画、南都の焼き討ち。
こういう失策を重ねている間にも、
以仁王の令旨を受けた源氏が、各地で反平家をかかげ
立ち上がっていました。
伊豆の源頼朝(みなもとのよりとも)、
信濃の木曽義仲(きそよしなか)、
九州の緒方惟栄 (おがたこれよし) 、
四国の河野通信(こうのみちのぶ)…
源氏の蜂起
平治の乱以来全国にちらばり、しいたげられてきた源氏たちが
立ち上がります。もう平家の思い通りにはさせぬと!
こういう大変な状況の中、清盛は熱病におかされます。
体中カーっとたいへんな熱におかされ、意識が朦朧として
「あた、あた」と言うばかりでした。
比叡山から冷たい水を汲んできて、なみなみとその水をたたえた中に
ざぶっと清盛をひたします。すると、
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水湧き上がってほどなく湯にぞなりにける。
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一瞬で水が沸騰して、湯になったってんですね。たいへんな熱です。
時子の見た夢
そのころ、清盛の北の方である二位の尼が、
恐ろしい夢を見ます。
ゴーと燃え盛る車が、平家の館の中に入っていきます。
車のまわりには、馬の頭をしたのと、牛の頭をした二匹の妖怪が
つきしたがっている。
車の前には、金属の札に「無」という字が書かれています。
夢の中で二位の尼時子は、たずねます。
「あの車は…どこから?」
馬の頭をしたのと、牛の頭をした二匹の妖怪が答えます。
「閻魔大王のもとより平家太政入道殿をおむかえにまいりました」
「してその札は?」
「大乗入道殿は金銅十六丈の廬舎那仏を焼き滅ぼした罪のために、
無間地獄へ落とされることに閻魔の庁で決定いたしました。
「無間」の「無」を書いて、いまだ「間」の字が書かれていないのです」
はっ!ビッショリ汗をかいて目がさめたという、
恐ろしい話です。
無間地獄は八つある地獄のうち、もっとも恐ろしい地獄の最下層です。
「無間」は「絶え間なく」という意味で、延々と恐ろしい拷問が続きます。
(「阿鼻地獄」とも)
頼朝の首をはねてわが墓の前にかけよ
熱病に苦しむ清盛に、二位の尼時子は言います。
意識がハッキリしている今のうちに、何か言い残しておくことはないですか。
清盛は、
「これだけの平家一門の栄耀栄華を築いて、何も思い残す無い人生であった。
ただし伊豆の国の流人頼朝の首を見ていないことだけが心残りだ」
20年前、平治の乱に敗れた13歳の頼朝は清盛の前に引っ立てられました。
普通なら打ち首にするところを、清盛の義理の母池の禅尼の必死の嘆願がありました。
「こんな小さな子供を殺すなんて、罪作りなことだよ」
「母上がそこまでおっしゃるのなら…」
頼朝を島流しだけで許してやりました。命の恩人といってもいいわけです。
その頼朝が、20年たって 伊豆で反平家の旗揚げをした、
おのれ命を助けられておきながら!!恩をあだで返すとは!
清盛としては、そういう気持ちがあったことでしょう。
頼朝の首をはなてわが墓の前にかけよ!
苦しげな息の下に、そう言い放ったといいます。
看護のかいなく治承5年(1181年)
2月4日、平清盛、享年64歳。帰らぬ人となります。
清盛の死の前後を語る文章、とてもあはれをさそい、
涙ぐまずにはいられません。
「平家物語」冒頭で語られた「祇園精舎」の精神が、
特に色濃く出ています。
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馬・車のはせちがふ音、天もひびき、大地もゆるぐ程也。
一天の君万乗のあるじの、いかなる御事在ますとも、
是には過じとぞ見えし。今年は六十四にぞなりたまふ。
老(おい)しにといふべきにはあらねども、宿運忽に尽きたまへば、
大法・秘法の効験もなく、神明三宝の威光も消え、
諸天も擁護(おうご)したまはず。況や凡慮においてをや。
命にかはり身にかはらんと、忠を存ぜし数万(すまん)の軍旅は、
堂上堂下(とうしょうとうか)に次居たれども、
是は目にも見えず、力にもかかはらぬ無常の殺鬼をば、
暫時も戦ひかへさず。又かへりこぬ四手(しで)の山、
三瀬河、黄泉中有の旅の空に、ただ一所こそおもむき給ひけめ。
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