殿上の闇討ち

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「殿上の闇討ち」は清盛の父忠盛の活躍が描かれます。
平家物語のいちばん最初に語られるお話です。

時は1131年。平家物語本編の時代が1180年前後なので、
50年ほど昔のお話となります。崇徳天皇の時代です。

長承2年(1132年)(『平家物語』では天承元年)

平忠盛は鳥羽上皇御願の得長寿院・三十三間堂を造営した賞として
昇殿を許されます。

得長寿院は現存していませんが現在の京都府左京区岡崎にありました。

中央に丈六の観音像を安置し、左右にそれぞれ五百体の等身の正観音像を立てました。

現在残る蓮華王院三十三間堂は忠盛の子清盛が、
後白河法皇の御願で造営したものですが、
忠盛の三十三間堂も、近い雰囲気だったと思われます。

「昇殿」とは天皇の日常的な住まいである
清涼殿の床に上がることです。

五位以上で昇殿を許された者を「殿上人」といいました。

忠盛の時代はまだまだ武士は低く見られており、
貴族の番犬的な位置づけでした。
武士が昇殿するなど、ありえない話でした。

貴族たちは激しく反発します。

「身分いやしき武士に昇殿をお許しになるなど…
まったく上皇さまは何をお考えなのか!」

「これでは清涼殿がけがれます。
みなさま方、いかがでしょう。
忠盛に思い知らせてやるというのは?」

豊明の節会の夜

11月23日豊明の節会の夜、
貴族たちは忠盛を宮中で闇討ちしようと決めました。

豊明の節会とは、
宮中でその年の収穫をいわう新嘗祭(にいなめさい 
にいなめのまつり しんじょうさい)の
最終日にもよおされる宴会のことです。

天皇がその年に収穫された穀物を召しあがり、
臣下にも饗されました。無礼講の雰囲気がありました。
みんな酔っぱらって顔がほてるから、「豊明」といいました。

ちなみに現在の「勤労感謝の日」はこの新嘗祭の日付
11月23日にゆらいしています。

そのめでたい新嘗祭の最終日、豊明の節会の夜に、
貴族たちは忠盛を闇討ち…集団リンチにしようとしていました!

忠盛は、事前にこれを察知しました。

「われ右筆(ゆうひつ)の身にあらず。武勇の家に生れて、今不慮の恥にあはん事、家の為身の為、こゝろ憂かるべし。せむずるところ、身を全うして君に仕ふといふ本文あり」

『平家物語』より

私は文官の身ではない。武士の家に生まれて、不慮の恥にあることは残念だ。わが身を安全にたもってはじめて君に仕えることができるという言葉もある。

『平家物語』によると、こういって忠盛は準備をしました。

「さあ、やってしまいましょう」
「あの者が忠盛ですか」
「ほほほ、泣き騒ぐ顔が目に浮かぶ」
「あいや、待たれよ」

キラリッ

忠盛の手元に、光るものがありました。

「ひっ、…内裏に刀を!」

また、庭には家臣の家貞がひかえていて、
わが君の身に何かあったらお前らただじゃおかんぞという
感じです。

「こ、これは…一時下がりましょう」
「野蛮な」

トタトタトタ…

貴族たちは忠盛の闇討ちをあきらめるほかありませんでした。

忠盛の機転

「清涼殿に武器を持ち込み、
侍をつれている。とんでも無いことです。
今すぐ忠盛の官位をはく奪してください!」

貴族たちは鳥羽上皇に訴えます。

そこで鳥羽上皇は忠盛を召し出し問いただすと、

「郎党が上がりこんだのは私の指示ではありません。
あやつが勝手にやったことです。
おそらく私を襲撃するという話をきいて、
助けようとしたのでしょう。

もしあやつに罪があるとおっしゃるのなら、
身を引き渡しますので、
何とでもしてください。

そして刀に関しては役人に預けてありますので、
御検分ください」

そこで忠盛の刀を取り寄せて検分した所、
鞘を抜くと、木刀に銀箔をおしてビカビカと輝いて
みえるようにしたものでした。

貴族たちを威嚇するために刀を持っていたものの、
後々問題にされることを想定して、
最初から作り物の刀を細工しておいたのです。

鳥羽上皇はつくづく感心されます。

「当座の恥辱をのがれんが為に、刀を帯(たい)する由あらはすといへども、後日(ごにち)の訴訟を存知して、木刀(きがたな)を帯しける用意のほどこそ神妙(しんびょう)なれ。弓箭(きゅうせん)に携わらむ者のはかりことは、尤もかうこそあらまほしけれ。兼(かねては)又郎従小庭に祇候の条、且(かつう)は武士の郎等のならひなり。忠盛が咎にあらず」とて、還而(かえって)叡感(えいかん)にあづかッしうへは、敢(あえ)て罪科の沙汰もなかりけり。

以後、忠盛は瀬戸内海の海賊討伐で名を上げ、
日宋貿易で富を築き、中国渡来のいろいろなめずらしい品を
鳥羽上皇に献上するなどして、名を上げていきました。

≫続き 「祇園社闘乱事件」

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