曾良来る
二日
曾良来りてよし野ゝ花を尋(たずね)て熊野に詣(もうで)侍(はべ)るよし。
武江旧友・門人のはな〔し〕彼是(かれこれ)取まぜて談ず。
曾良
くまの路(ぢ)や分つゝ入ば夏の海
大峯やよしの〔ゝ〕奥を花の果(はて)
夕陽(せきよう)にかゝりて大井川に舟をうかべて、嵐山にそふと戸難瀬をのぼる。雨降り出(いで)て、 暮に及て帰る。
一、三日
昨夜の雨降つゞきて終日終夜やまず。猶、其武江の事共問語、既に夜明(よあく)。
一、四日
宵に寝(いね)ざりける草臥(くたびれ)に終日臥(ふす)。昼より雨降止む。明日は落柿舎を出(いで)んと名残をしかりければ、奥・口の一間ゝを見廻りて、
五月雨や色帋へぎたる壁の跡
現代語訳
曾良が来て、吉野の花を尋ねて熊野に参詣した話をする。江戸の旧友・門人の話あれやこれや取り交ぜて話す。
曾良の句
くまの路(ぢ)や分つゝ入ば夏の海
(熊野路に分け入っていくと、峠でぱーーっと視界が開けて、向こうに夏の海が見える)
大峯やよしの〔ゝ〕奥を花の果(はて)
(大峯のほとり吉野の奥まで花を求めてきたが、季節はもう初夏。花も終わりだ)
夕陽のさす時間になって、大井川に舟を浮かべて、嵐山に沿って戸難瀬の急流をさかのぼる。雨が降り出して、暮になって帰る。
三日
昨夜の雨が降り続いて一日中一晩中やまない。なお、昨夜の続きの江戸の話など曾良に質問したり聴いたりしいるうちに、とうとう夜が明けてしまった。
四日
昨夜は寝なかったのでくたびれて一日寝ていた。昼から雨が降りやんだ。
明日は落柿舎を出ようと名残惜しい気持ちなので、家の奥から表のほうまで全ての部屋を一間一間見て回って、
五月雨や色帋へぎたる壁の跡
五月雨が降りしきる、ここ落柿舎の壁は古さびて、色紙がはがれている。昔ははなやいでいたはずだが、わびしい感じだ。
語句
■曾良 曾良は元禄4年(1691年)江戸を出発して近畿旅行へ向かった。京都を経由して奈良・吉野・熊野・大阪・姫路書写山とまわり、4月29日京都着。5月2日嵯峨を訪れ芭蕉と再会したことが『曾良旅日記』に記されている。 ■大峯 吉野の奥から熊野にかけての連峰。修験道の霊場。 ■夕陽にかゝりて めずらしい表現。夕陽のさす時間にかかって、あるいは夕陽が山の端にかかっての意味か? ■戸難瀬 大井川の上流の激流。歌枕。 ■奥・口 「奥」は家の奥の奥座敷。「口」は戸口に近いほうの部屋。家の奥から表に面した部屋まですべての部屋を。 ■降りしきる五月雨の季節。ここ落柿舎では壁が所々はがれていて、わびしい情緒を醸し出す。
前の章「奥州高館の詩」
嵯峨日記 現代語訳つき朗読