横田河原の合戦

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以仁王の令旨をうけて1180年九月、信濃で旗揚げした
木曾義仲は平家方の武将笠原頼直を破ります
(1180年9月7日市原合戦)。

翌1181年6月には依田城(現長野県上田市)を拠点に
力を蓄えていました。

そこへ、越後の豪族城長茂が
平宗盛の命を受け、義仲討伐に乗り込んできます。

城長茂は1万騎あまりを三手にわけ、越後から信濃へ南下、
千曲川沿いの横田河原に陣をしきます。

1181年(治承5年)6月 横田河原の合戦直前の状況
【1181年(治承5年)6月 横田河原の合戦直前の状況】

有名な上杉謙信と武田信玄の川中島の合戦が
行われた、まさに同じ地点です。

「べんせいしゅくしゅく」と、詩吟で必ず
最初に習う、あの頼山陽の詩になっている川中島の戦い。

川中島の戦いは12年間5回にわたって行われましたが、
その中でも特に有名な、謙信(上杉政虎)と信玄の一騎打ちがあったとされるのが
1561年第四次川中島合戦です。

横田河原の戦いが1181年、
ちょうど380年をへだてていることになりますね。

義仲は討伐に乗り出してきた城長茂の動きをいち早く察知、
依田城を出て横田河原対岸の
雨宮の渡(あめみやのわたし)に陣をしきます。
(上杉謙信が川を渡り、武田軍に奇襲をかけた場所です)

こうして合戦がはじまりますが、戦況は一進一退。
義仲軍3000に対して長茂軍は9000。
消耗戦になれば数に劣る自軍に勝ち目は無いとみた義仲は、
配下の武将井上光盛に策をさずけます。

「長茂軍の背後に回り込み、平家方をよそおって
奇襲をしかけよ」

命を受けた井上光盛、赤旗を七流れ持って(平家は赤旗)、
妻女山(さいじょさん)の南を大きく迂回、
千曲川下流から対岸に渡り
長茂軍の背後に近づきます。

井上光盛別動隊 城長茂軍後方へ
【井上光盛別動隊 城長茂軍後方へ】

妻女山は川中島の戦いで上杉謙信が陣をひいたところです。

「おっ、味方の増援か。頼もしい」
「おーい、こっちだ。数は多いほうがいい」

長茂軍が安心しきっているところに
井上光盛の別働隊は赤旗をバッと白旗に持ちかえ、
時の声を上げます。

「敵だ!」「な、何十万騎いるんだ!!」

井上光盛の別働隊は長茂軍の中に切り込んでいき、
つづいて正面の千曲川を渡ってきた義仲の本体とで
長茂軍は挟み撃ちにされてしまいます。

こうして義仲は3000騎をもって
敵9000騎を破ります。

数に3倍もの長茂軍を破ったことで
勢いづいた義仲軍はそのまま越後に進出します。

≫次章「わが子を人質に」

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