更級日記

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『更級日記』は作者菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)が13歳の少女時代から53歳までのことをつづった回想録です。平安時代中期の作品です。

物語の世界にあこがれる文学少女の、ウキウキワクワクしている感じが実によく書けていて、ほほえましく、読んでいて楽しくなります。

作者 菅原孝標女

作者は菅原孝標女(すがわらのたかすえのむすめ)。
お父さんの名前が「菅原孝標」なので、その娘ということで
スガワラノタカスエノムスメといいます。

本名はわかっていません。

菅原家はかの菅原道真の子孫であり、兄は学者、
また母の姉、つまり叔母は『蜻蛉日記』の作者藤原道綱母です。

作者菅原孝標女はこういう、
文学的空気に満ちた家庭で育ちました。

『更級日記』 あらすじ

『更級日記』は作者の父菅原孝標が上総国(千葉県)での任期を終え、
一家で京都に引き上げていくところから書き始めます。

そして『源氏物語』をはじめとする物語の世界にあこがれた少女時代。

やがて姉や乳母の死、母の出家、祐子内親王への出仕、結婚。出産。

そして

子供たちも独立し、一人残された作者が
孤独の中に仏教の信仰に救いを見出していくまでが描かれます。

なかなか人生は物語のように華麗にはいかない、
光源氏みたいな素敵な男性がいるはずもない、
若いころの私は浮ついたことばっかり考えていたわ、

そういって作者は信仰に救いを見出していくわけですが…

どうも後半は寺に参ってばかりで、
話が線香くさく、楽しくないです。

作者自身は否定している、少女時代の、
物語へはまりこんでいた夢見がちだった時代。

夢見る文学少女のワクワク感を描いた前半のほうが、
はるかに印象深く、活き活きしています。

書名のゆらい

『更級日記』という書名は、
作者の夫の赴任先、信濃国更科という地名に
ゆらいします。

この更科地方には、
昔、口減らしのために老人を山に捨てたという
悲しい言い伝えのある姨捨山があります。

わが心なぐさめかねつさらしなやをばすて山に照る月を見て

姨捨山を詠んだ古今集にある有名な歌です。

『更級日記』にも、この古今集の歌をふまえた歌が
登場します。

月もいでてやみにくれたるをばすてになにとてこよひたづねきつらん

このように夫の赴任先信濃の国の姨捨山伝説を
ふまえ、

そして、

年老いて孤独な身となった自分を、
まるで姨捨山に捨てられる老人のようだと、
少し皮肉る意図もあったのかもしれません。

もっとも「姨捨日記」ではあまりにロコツで、
悲しすぎるということで、一段ぼかして、
「更級日記」としたんじゃないでしょうか。

冒頭部分 あづま路の道のはて

原文

あづま路の道のはてよりも、なほ奥つ方に生ひ出たる人、いかばかりかはあやしかりけむを、いかに思ひはじめけることにか、世の中に物語といふもののあんなるを、いかで見ばやと思ひつつ、つれづれなるひるま、宵居などに、姉、継母などやうの人々の、その物語、かの物語、光源氏のあるやうなど、ところどころ語るを聞くに、いとどゆかしさまされど、わが思ふままに、そらにいかでかおぼえ語らむ。いみじく心もとなきままに、等身に薬師仏を造りて、手洗ひなどして、人まにみそかに入りつつ、「京にとく上げたまひて、物語の多くさぶらふなる、あるかぎり見せたまへ」と、身を捨てて額をつき祈り申すほどに、十三になる年、上らむとて、九月三日門出して、いまたちといふ所にうつる。

年ごろ遊び馴れつる所を、あらはにこほちちらして、立ち騒ぎて、日の入りぎはの、いとすごく霧りわたりたるに、車に乗るとて、うち見やりたれば、人まには参りつつ額をつきし薬師仏の立ちたまへるを、見捨てたてまつる悲しくて、人知れずうち泣かれぬ。

現代語訳

「あづま路の果て」と古今集に詠まれた常陸国よりもさらに奥まった田舎、上総国に生まれた私は、さぞかし田舎くさい娘だっただろう。ところがそんな私が、何がきっかけだったかわからないのだが、世の中に物語というものがあるのを、どうにかして読みたいと思うようになっていった。

そんな折、暇な日中や夕飯時などに、姉や継母などの人々がその物語、かの物語、光源氏の有り様など、所々かいつまんで語るを聞くにつけ、どうしても読みたいという気持は高まっていった。

しかしいくら姉や継母でも、物語の内容をぜんぶ諳んじていて私に語ってくれるわけでもない(結局ぜんぶの内容は、わからない)。

ひどくもどかしい気持ちのまま、等身大の薬師如来像を作ってもらい、手なんか洗って、人の見ていない隙に仏間にこもっては「早く京へのぼらせてください。京には物語がたくさんあると聞きます。ありったけの物語を読ませてください」と、夢中で額づいてお祈りしていた。

そのうちに、祈りが通じたのだろうか。私が十三歳になる年、父の任期が切れて京へのぼることになり、九月三日に出発して上総の国のいまだちというところに移った。

長年遊び馴れた部屋を、すっかり家具や建具など取り外してしまい、人々は荷造りにバタバタしている。日が沈もうという頃、霧が深く立ち込める時に、車に乗るのに部屋を振り返ってみると、人目を盗んでは額づいてお祈りしてきた等身大の薬師如来像が立っておられた。それをお見捨てするのが悲しくて、人知れず泣いた。

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