わが子を人質に

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北陸制覇に乗り出した木曾義仲でしたが、
ひとつ不安要素がありました。頼朝との仲たがいです。

父殺しの恨み

もともと頼朝は義仲に疑いを持っていました。

なぜなら、まず義仲は平家を倒す積極的な動機が薄いです。

頼朝の父義朝は平治の乱で殺されています。
頼朝には源氏の棟梁であるという公の動機に加え、
父の仇を討つという個人的な動機もあるのです。

義仲の父も殺されていますが、
殺したのは頼朝の兄義平です。

悪源太義平、義仲の父帯刀先生義賢を討つ
【悪源太義平、義仲の父帯刀先生義賢を討つ】

平家に殺されたのではなく、同じ源氏によって殺されたのです。
頼朝としては、義仲が父殺しの恨みをこちらにぶつけてくるんじゃないか
という疑いを持つのは自然なことです。

「うーむ義仲、油断ならぬ」と、なるわけです。

もっとも義仲のほうは「頼朝と義仲でもって
平家を滅ぼして日本国に二人の将軍と言われよう」
なんてノンビリしたこと言ってました。

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新宮十郎行家

また新宮十郎行家の存在がありました。
頼朝や義仲の共通の叔父にあたる人物です。

山伏姿に身をやつして、
以仁王の令旨を持って全国の源氏に届けて回りました。

この行家がいなければ平家打倒はそもそも
始まりもしなかったわけですが…

しかし行家の人となりは、軽薄で、
どうにも胡散臭い、信用できない感じでした。

以仁王の令旨を受けてやがて
頼朝や義仲が挙兵するわけですが…

行家自身は頼朝とも義仲とも協力せず、
独自に挙兵します。

しかし石橋山の敗戦をすぐに挽回して鎌倉入りした頼朝や
北陸道で華々しい戦果を挙げていた義仲に比べて、
行家は戦がヘタでした。

美濃と尾張の国境にある墨俣川で平家と戦いますが、
(1181年治承5年4月墨俣川合戦)
夜襲をかけようとしていた所を見破られてしまい、
撃退されます。

しかも、この時頼朝は援軍として弟の義円を行家軍に
つかわしていました。

あろうことか、行家はその義円を合戦の中で
死なせてしまいます。

大切な預かり人を死なせてしまい、どのツラ下げて
出られるかって話ですが…
行家はノコノコと頼朝の前に出て行き、しかも
「領地を下さい」と願い出ます。

「えーい領地がほしければ自分で取ってまいれッ!」

さすがに頼朝もキレて行家を追い出します。
行き場に困った行家、今度は義仲のもとに身を寄せます。

「義仲殿、この行家が来たからにはもう安心です。
義仲殿の武略と、この行家の兵法の知恵。二つあわされば、
平家おそれるに足りません」

「は…叔父上がいてくだされば
たしかに心強いかもしれませんな」

「さすが義仲殿は人を見る目というものがある!
それに比べて頼朝。あれはいかん。わしのような優秀な人材を遠ざけておいて、
何の天下の大事が成せましょうか」

そんな調子のいいこと言ってました。

しかし

義仲はこういう行家のような
一見胡散臭い人物でもむげに退けることなく、
配下に置いておきました。

度量が広いのかお人よしなのか…。

義仲が行家をかくまっていることは
すぐに頼朝の知るところとなり、
「うーむ義仲、けしからぬ」と、なります。

義仲という人物は歴史的評価としてはけして高くは無いです。
特に何か成功した人物とも言いがたいです。

たとえば小学校の図書室に「日本をつくったエライ人々」といって
偉人伝のコーナーがあってですね、
その中に「木曾義仲」の名がサンゼンと輝いているかというと、
そんなことは無いでしょう。

木曾義仲の伝記をお孫さんに読ませて、
「こういう大人になりなさい」なんて、
あんまり薦められないと思います。

しかし!

歴史的評価や功績という話を超えて、
義仲という人物には何か愛嬌があって、
憎めないところがあったようです。

今井兼平、樋口兼光、根井行親、楯親忠、
世に木曽四天王と呼ばれた豪の者、
巴や葵といった女武者、太夫坊覚妙のような知恵にすぐれた者、
そして新宮十郎行家のような胡散臭い人物まで。
義仲のまわりにはクセのある人材が集まりました。

今日でも義仲ファンが多いというのは、
こういう所かなと思います。

武田信光の讒言

義仲と頼朝の対立という話、続けます。

甲斐の豪族武田信義の五男信光が、
わが娘を義仲の嫡男義高の嫁にと申し出ました。

しかし義仲は信光の申し出を断ります。
断られたほうは屈辱です。

「ふん!わが娘では不服とおっしゃられるか」

信光、鼻息を荒げます。

信光はこのことを恨みに思い、
頼朝にありもせぬ事を言いつけます。

「義仲殿は北陸道を制した後は、平家と結んで
あなた様を滅ぼすおつもりですぞ」と!
「うーむ義仲、もう許さぬ」と、なるわけです。

清水冠者義高

…このように、

●父殺しの恨み
●新宮十郎行家をかくまっていること
●武田信光の讒言

悪い条件が重なり、
頼朝はますます義仲を疑うようになっていきました。

とうとう頼朝は義仲を討つべく、
あるいは単なる脅しかかわりませんが、
信濃国へ軍勢を進めます。

驚いた義仲は、側近の今井兼平を使者に立てて、
争うつもりは無いことを頼朝に訴えます。

「御辺は東海道から攻め上って平家を滅ぼそうとしておられる。
義仲は北陸道を攻め上って平家を滅ぼすつもりである。
どうして源氏同士争って平家に笑われる必要がありましょうや。
もっとも叔父の行家殿は御辺に恨みがあるようなことを漏らしておられるが…
誓って義仲は、御辺に何の恨みもございませぬ」

しかし頼朝はなかなか疑いを晴らさないです。

そこで義仲は6歳の嫡男清水冠者義高を、
いずれ頼朝の長女大姫の婿にするという条件で、
差し出します。ようは人質です。

そこまでして頼朝はようやく納得しました。

こうして義仲は、頼朝との対立という後顧の憂いを絶ち、
北陸での戦いに専念することができるようになりますが、

鎌倉に向かった嫡男義高には、
後々悲惨な運命が待っていました…

≫次章「燧ケ城の戦い」



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