継信の最期

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義経軍の名乗り

屋島
【屋島】

大将軍九郎判官義経は赤地の錦の直垂の上に
紫裾濃の鎧を着て、重藤の弓の真ん中を持って、
大声で名乗ります。

「一院の御使い、検非違使五位尉(けびいしごいのじょう)
源義経」

続いて義経配下の武将たちが名乗ります。

伊豆国の住人田代冠者信綱
武蔵国の住人金子家忠、
伊勢三郎義盛、
後藤兵衛実基、その子基清、
奥州の佐藤三郎兵衛継信、
同じく四郎忠信、
武蔵坊弁慶…

次々と名乗ります。

内裏に火を放つ

「射とれやーッ」

平家方が矢を射かけると、
源氏方も右から左から、矢を射かけます。

源氏方は汀にとめた船を縦にして
馬を時々休めながら、
絶え間なく矢を射かけ続けました。

源氏方の後藤兵衛実基はベテランの武士だったので、
安易に戦には加わらず、屋島の内裏に攻め込み、
内部から火を放ちます。

メラメラメラ

たちまち燃え広がる炎。

平家方の誤算

平家方の大将宗盛は舟の中で、
配下の侍たちに訪ねます。

「いったい源氏方はどれくらいの人数がいるのだ」
「それが…80騎ほどかと」
「80騎!!」

宗盛はへたれこみます。

「そんなわずかな人数であったか…。
80人すべての髪の毛を一本ずつ取っても、
われらの数には及ばなかったのに。
あわてて舟に飛び乗って内裏を焼かれてしまった
口惜さよ。能登殿はおはすか!」

教経の出撃

宗盛は従弟の能登守教経を呼び出します。

「ははっ。教経はここに」

「能登殿。いつも御辺ばかりを頼りにして悪いが…
陸地へ上がってひと戦してきてくれ」

「お任せください」

能登守教経済は越中次郎兵衛盛嗣を連れて
小舟に乗り、汀へ近づきます。

源氏方は海岸でこれを迎え撃ちます。

詞戦い(ことばだたかい)

越中次郎兵衛盛嗣、
舟の上にうち出でて、大声を上げて

「今日の源氏の大将軍は、いかなる方ぞ」

源氏方の伊勢三郎義盛が馬で歩み出でて、これも大声で、

「清和天皇十代の御子孫、
鎌倉殿の御弟、九郎判官義経さまである」

平家方の越中次郎兵衛盛嗣、

「そういえばそんな者もいたか。
平治の乱で父を討たれて以来、鞍馬寺に預けられ、
後には金商人の家来となり奥州へ下ったという、
あの小僧のことか」

源氏方の伊勢三郎義盛、

「よくまわる舌じゃ。わが主君の御事を、
適当なことを並び立てるな。そう言うお前たちこそ、
倶利伽羅峠で義仲軍に惨敗し、ボロボロになって北陸をさまよい
ようやく都に立ち返った者どもではないか」

平家方の越中次郎兵衛盛嗣、

「お前たちこそ、鈴鹿山で山賊をして
ようやく生計を立てていると聞いたぞ」

源氏方の金子十郎家忠が、

「どちらもやめい。口だけなら何とでも言える。
昨年の一の谷の合戦で、源氏方がどれほど強いかは
思い知っているであろう」

金子十郎家忠が言い終わらぬうちに、
横にいた弟の与一が矢を引き絞ってひょうと放つと、
その矢が平家方の越中次郎兵衛盛嗣の鎧の胸板に
突き刺さります。

「ぐはっ」

このように合戦前に互いに大声で罵り合うのを
「詞戦(ことばたたか)い」といい、
当時の戦ではよく見られることでした。

教経の奮戦

続いて舟の舳に立った能登守教経が、

「舟戦にはやりようというものがある」

背中にせおった箙にさした
二十四本の矢を次々と射かけます。

能登守教経、都一の剛腕です。
前に立つ者は、次々と射殺されていきます。

「ええい、雑魚どもに用は無い。
大将軍を狙うのだ」

教経は義経を射殺そうとしますが、
源氏方も心得ていて、

奥州の佐藤三郎兵衛継信、同じく四郎忠信、
伊勢三郎義盛、武蔵坊弁慶など
一人当千と言われる強者どもが
馬の頭を並べて、大将軍の前で楯となります。

「雑兵ども、そこのけ」

教経はさんざんに矢を放ち、
たちまち鎧武者十人あまりが射殺される中、
奥州の佐藤三郎兵衛継信は、
左の肩を右のわき腹のほうへ射抜かれて、

「ぐはっ」

馬からどうと射落とされます。

教経の召し使う菊王という童が
長刀の鞘をはずして、継信の首を取ろうと
舟から飛び降り、バシャバシャバシャと駆けだします。

弟の佐藤四郎兵衛忠信は兄を討たせまいと、
弓を引き絞ってひょうと射ると、
菊王はつっと射抜かれて、ドタッと尻もちをついて倒れ、

教経は、

「菊王!」

舟から飛び降り渚へ駆けてきて、弓を左手に
右手に菊王を抱え上げ、舟へからりと投げ入れますが、
傷は深く、菊王は息絶えました。

この童は一の谷の合戦で討たれた兄通盛に
もともとは召し遣われていたのを
通盛の死後、教経があずかったものでした。

教経は菊王の死をあまりに哀れに思い、
その後は戦をやめてしまいました。

継信の最期

義経は佐藤三郎兵衛継信を自軍に担ぎ入れさせ、

「三郎兵衛、大丈夫か!」

佐藤三郎兵衛継信は息も絶え絶えに言います。

「どうやら、これまでのようです」
「思い置くことは無いか?」

「わが君の御出世なさるお姿を拝見せずに
死んでいくことだけが心残りです。その他は、
弓矢取る者が敵の矢にあたって死ぬことは
もとより覚悟の上です。

源平の御合戦に奥州の佐藤三郎兵衛継信という者、
讃岐国屋島の磯にて主の御命にかわり奉って討たれたと、
末代までの物語に語られること、弓矢取る身には今生の面目、
冥途の思い出。これに過ぎたるはございません」

義経 継信の供養をする

佐藤継信が息絶えると義経は涙をはらはらと流し、

「このあたりに僧はいないか」

近所の寺の僧を召して、法華経を書き写させて供養をさせ、
わが馬大夫黒(たいふぐろ)を僧に布施として与えました。

一の谷の断崖を駆け下りた時にも
乗っていた馬でした。

弟の忠信をはじめ、これを見る配下の者たちは皆涙を流し、

「この殿のために命を失うこと、
まったく、惜しくは無い」

と、言い合いました。

≫次章「那須与一」

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