俊寛
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俊寛僧都(しゅんかんそうず)は、
平家物語の中ではたいへん傲慢な、信仰心の薄い、
ロクでもない人物として描かれています。
「僧都」というのは律令制において
全国の僧侶をたばねる役職名です。
それはもう、偉い方なんです。
鹿谷の陰謀発覚
ところがこの俊寛僧都、京都郊外の鹿谷(ししがたに)にある別荘を、
反平家クーデターの密談の場所として
提供していました。
平家をつぶしましょう。
平家、どれほどのものですか。
もう我々の天下ですよと。
毎夜集まっては、
そういう話し合いをしていた。
これがマズかったです。
この鹿谷の陰謀は
内部告発によって発覚します。
清盛は怒り狂います。
おのれ俊寛、
わしが目をかけてやればこそ出世できたものを!
恩を仇で返しおって、ケシカラン!
こうして俊寛は島流しとなります。
俊寛のほか
丹波少々成経(たんばのしょうしょうなりつね)、
平判官康頼(へいほうがんやすより)という二人が
いっしょに流されます。
鬼界が島
絶海の孤島、鬼界が島です。ドーンドーンと常に火山が噴火しており、
硫黄のニオイが満ち満ちています。
ほとんど住む人とて無く、
たまに会う人もボロをまとい、
人かケダモノかという感じ。
文明社会からほど遠いんです。
華やかな都から流されてきた俊寛たちには、
さぞショックが大きかったでしょうね。
そんな中にも丹波少々成経と康頼入道は
熊野権現にお祈りしたり、祝詞を上げたり…。
いろいろと殊勝なことをやってました。
ところが俊寛はふんぞり返って、
信心ぽいことは何もしなかった。
ケッ迷信くさいことをと、バカにしてました。
徳子の懐妊
一方、都では平家が着々と権力の地盤を固めていました。
清盛の娘の徳子が中宮(お后)になります。
これで平家は
天皇家と血縁関係になったのです。
そのうちにご懐妊ということになります。
これで男の子が生まれれば平家の権力はゆるぎない。
千年万年も栄えよと期待が高まります。
ところが、難産でなかなか生まれない。
徳子さんはウンウン苦しんでいます。
どうも怨霊が祟っているらしい。
平家は権力の階段をワッと駆け上がってきたのです。
その過程において、さまざまな敵を、
あるいは合戦で、あるいは権力闘争で、
蹴落としてきたわけです。
その怨霊が祟っているらしいと。
まず保元の乱で敗れた崇徳上皇(すとくじょうこう)、
藤原頼長(ふじわらよりなが)、
そして今回の鹿谷の陰謀で処刑された
大納言藤原成親(ふじわらなりちか)、
西光法師(さいこうほうし)、
こういった人々です。
よし、怨霊をなだめよ!ということで、
彼らの墓の前に行って官職をさずけます。
あんた出世ですよ。
死んだ後も位が上がるなんてスゴイじゃないですか。
だから機嫌なおしてね。もう平家を呪っちゃダメですよと。
アホらしい話ですが、
大真面目でこういうことをやる時代だったのです。
さらに、鬼界が島に流された問題の三人です。
俊寛、丹波少々成経、康頼入道。
この三人の生霊が祟っているらしい。
よし恩赦だ!罪を許して、生霊をやめさせろ!
そういう話になります。
こうして都からはるばる赦免の使者が鬼界が島を訪れるのでした。
鬼界が島への使者
そして俊寛のお話のクライマックス、
「足摺」という章です。
都からの赦免の御使いをのせた舟が、
鬼界が島につきます。使者は声をかけます。
「丹波の少将殿、康頼入道殿はおはすかーッ?」
最初に気付いたのは俊寛です。
「やや、あの声は!」
喜び勇んで飛び出る俊寛。
「はいっ、俊寛です。
俊寛はここです。私です。俊寛です」
そこで都のお使いは
許し状を取り出して俊寛にわたします。
ところが、書状には
成経、康頼の名はあれど「俊寛」という
文字が見当たりません。
あれ、俺の名前が無い?
いやまさか…!
きっと包み紙のほうに
書いてあるんだろう……
ここにも無いな。
しかし無い、やっぱり無い。
奥より端へ読み端より奥へ読みけれども
二人とばかり書かれて三人とは書かれず
なんと俊寛の名前だけ
書かれてなかったんですね。
真っ青になる俊寛。
こんなに残酷な話は無いですよ。
絶海の孤島ですよ。
まだ話し相手が
いれば耐えられるでしょう。
流されてずいぶん経ちますけど、いつごろ戻れますかねー
さーどうでしょうなーなんてたわいもない話をしていれば、
人間というものはそんな会話でも気がまぎれるじゃないですか。
だれも話し相手がいない。絶海の孤島
これは厳しいですよ。
自分独りだけが残される。
こんな理不尽がありますか。
そうこうしているうちに
他の2人も出てきて事情を知ります。
俊寛はワッと丹波少将に泣きつきます。
でも、どうにもならないです。
都からのお使いは、丹波少将成経、
康頼法師の二人だけを舟にのせて、
いっぽうの俊寛を島に残して、舟が出ます。
俊寛は砂浜で足をジタバタさせて
「乗せていけ、連れて行け」とわめきちらしますが、
あとは白波ばかりを残して舟はこぎ去っていきました。
僧都せん方なさに、渚にあがりたふれ臥し、
をさなき者の、乳母や母などを慕ふやうに
足摺をして、
「是乗せてゆけ、具してゆけ」と、
をめきさけべ共、漕行舟の習にて、
跡は白浪ばかり也。
いまだ遠からぬ舟なれ共、
涙に暮て見えざりければ、
僧都たかき所に走りあがり、
沖の方をぞ招きける。