能登殿最期

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建礼門院 生け捕り

一方、建礼門院徳子も衣の裾に重りを抱いて
海に身を投げます。

しかし、源氏方のものが誰とは知らず
熊手にかけて引き揚げました。

引き上げ足られ建礼門院を見て、
女房たちが口ぐちに言います。

「ああひどい。
あれは女院でいらっしゃいますよ」

義経は建礼門院をすぐに
安徳帝のましました御座舟にうつし警護させました。

内侍所

平重衡の北の方 大納言の佐殿は、
八咫鏡を入れた内侍所という箱を持って
海へ飛び込もうとしていた所へ、

ドドッと裾を船端に射つけられ、

「あれ」

と倒れたところを、源氏方の侍どもに取り押さえられました。

ちなみに、

内侍所とは八咫鏡を納める唐櫃…箱ですが、
八咫鏡そのものを「内侍所」と呼ぶこともあります。

「これが内侍所か」
「こんな物のために俺たちは戦をしてきたのか。
いったい何が入っているんだ」

武士たちが内侍所の錠をねじ切って、蓋を開こうとすると、

「ぎゃあああ!!」

たちまち目がつぶれ、鼻血が垂れます。

生け捕りにされた平時忠が言います。

「それは内侍所であらせられるぞ。
凡夫が拝見してよいものではない」

「う、うう…はい…」

侍どもは引き下がりました。

大臣殿父子 生け捕り

そうこうしている内に、
平中納言教盛、修理大夫経盛兄弟は
鎧の上に碇を負い、手をとりあって
海に飛び入ります。

小松新三位中将資盛、
少将有盛、いとこの左馬頭行盛も
手に手を取り組んで、海に沈みます。

人々はこのように次々と海へ飛び込んでいきましたが、
宗盛父子は飛び込む様子も無く、船端でぼうぜんとしていたので、
侍たちはあまりにその様子が情けないので
「いさぎよくなされませ」とばかりに、

ドバシャー

海へ突き入れます。

「父上!」

子息右衛門守清宗は、父が海に入ったのを見て
続いて飛び込みます。

しかし、人々は重い鎧を抱いたり背負ったりして
海に沈んだのですが、宗盛父子はそんなことはしない上、
なまじ泳ぎが得意だったので、沈むことができませんでした。

宗盛は、
「わが子清宗が沈めば我も沈もう。助かったら我も助かろう」

子息右衛門守清宗も
「父が沈めば我も沈もう。助かったら我も助かろう」

互いにバシャバシャやりながら目配せしているところへ、

源氏方の伊勢三郎義盛が小舟に乗って進んできて、
まず子息右衛門守清宗を熊手にかけてかきあげ、
父宗盛も引き上げました。

教経、義経を狙う

平家一門が次々と負け崩れていく中、
能登守教経の活躍は目ざましいものがありました。

手持ちの矢をすべて射つくして、
今日ぞ最後と、赤地の錦の直垂に
唐綾威の鎧を着て、大太刀、大長刀を左右の手に
持ち、敵をなぎ払い、なぎ払い進んでいくと、
正面からまともに立ち向かおうとする者も
なく、敵は次々と討ち取られます。

そこへ、知盛から使者が届きます。

「能登殿、つまらぬ殺生はおよしなされ。
貴殿がかかわるほどの敵でもありますまい」

「うむ。では大将軍と直接組み合おう」

目をギラリとさせて教経は
敵の大将義経をさがし、
源氏の舟に乗り移り、乗り移り、
おめき叫んで攻め戦います。

義経の八艘跳び

とはいえ教経は義経の顔を知らないので、
一番立派な鎧甲をまとっている者が大将軍だろうと
駆けまわります。

義経は、平家一の猛将能登守教経が自分をねらっていることは
心得ていたので、なんとか直接向かい合わないよう
教経を避けていました。

しかし、教経は義経の舟を目ざとく見つけ、

「そこか義経ーーッ!!」

飛びかかってくる教経に、
義経は

「ぬおっ!」

あわてて長刀を脇にかいばさみ、
バッと隣の舟に飛びのきます。

ガシャン

飛び移られた舟は大きく揺れ、
侍の二三人がドバシャーと海に揺り落とされます。

「あれぞ音に聞く平家一の猛将能登守教経。
まともにぶつかっては一たまりもない」

「待て!!」

すかさず飛び移ってくる教経に、
義経はまた隣の舟に飛び移り、
教経もこれを追って飛び移り、

「うわああ!」

飛び移られた舟は大きくゆれ、
そのたびに侍たちが海に
ゆり落とされ、

味方の舟に、敵の舟に、
飛び移り、飛び移り、

義経のすばしこさは並みたいていではなく、
とうとう教経は義経の追跡をあきらめます。

教経の最期

「もはや、これまで」

教経は太刀、長刀を海に投げ捨て、
甲も脱いで投げ捨て、
鎧の草摺を放り出し、胴丸だけ着て
髪はざんばら髪になり、
両手を広げて立っていました。

「恐ろしい」などという言葉ではとうてい言い表せない、
敵も味方も、近づきがたい雰囲気でした。

原文で。

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「われと思はん者どもは、寄ッて教経にくんで
いけどりにせよ。鎌倉へくだッて、頼朝にあうて、
物一詞いはんと思ふぞ。寄れや寄れ」
と宣へども、寄る者一人もなかりけり。
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そこへ、勇敢にも進んできた舟がありました。

土佐国の住人、安芸の太郎実光という
三十人なみの力を持った剛の者。

同じく剛腕で知られる弟の次郎、
それに郎党が一人。

「いかに勇猛だといっても、
われら三人がかりなら、たとえたけ十丈の鬼でも
組み伏せられぬことがあろうか」

三人で小舟に乗って、
教経の舟に押し並べて

「えいっ!!」

飛び移り、太刀を抜いて、正面から走りかかります。

教経は、騒ぐ様子も少しも無く、
真っ先に進んでくる郎党を海へどうと蹴り入れ、

続いて襲いかかる兄の太郎を左の脇にはさみ、
弟の次郎を右の脇にはさみ、
ぐっと引き締めて、

「さあきさまら、死出の山の供をせよ」…

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「いざうれ、さらばおのれら死途の山のともせよ」
とて、生年廿六にて海へつッとぞいり給ふ。
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≫次章「内侍所都入」

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