敦盛最期
こんにちは。左大臣光永です。道端に死にかけのセミが転がっているのをケッ飛ばしてしまい、ジジジッと跳ね上がって、おおっとビックリする季節となりましたが、いかがお過ごしでしょうか?
今回はためしにiPadを使って録音してみました。どんな音になってでしょうか?内容は、
『平家物語』から「敦盛最期」を、解説と、原文朗読でお届けします。
▼音声が再生されます▼
http://roudoku-data.sakura.ne.jp/mailvoice/genpei08.mp3
1183年、都落ちした平家一門は、京都奪還をはかり摂津一の谷(神戸市須磨区)に陣を敷いていました。翌1184年、源義経率いる源氏の軍勢が、一の谷の背後の崖の上から駆け下りて奇襲攻撃をしかけます。不意をつかれた平家軍は、沖に留めてある船に乗り込もうと、大慌てで逃げ出します。
またそれを追撃する源氏方も、必死でした。
源氏方の熊谷次郎直実は一の谷西口の塩屋口を
攻めていました。
戦場に一番乗りを果たすも、息子の小次郎直家が
左腕に傷を負ったことを心配していました。
【塩屋口で先陣を切った熊谷父子】
また、今回の戦で大きな手柄をまだ立てていないことも
心配事のひとつでした。
(もしこのまま戦が終わってしまえば…
平家が滅びてしまえば…)
武士は、手柄を立てる機会が失われてしまいます。
「なんとしてもこの合戦で、
敵の名だたる大将を討ち取るのだ!」
熊谷は目をギラギラさせて、海岸沿いに東へ馬を走らせていました。
ふと海のほうを見ると、
沖に停泊している平家方の舟に向けて、
背中を向けて逃げていく馬に乗った武者の姿があります。
【熊谷直実、平家方の武者を呼び止める】
これだと熊谷は声をかけます!
「そこなるは平家の名だたる御大将とお見受けする。
敵に背中を見せるとは卑怯!
返したまえ。返したまえ」
扇を上げて招きます。
招かれたほうは…
そんなもん、無視して行っちゃえばいいんですが、
名誉を重んじる、武士の世界の話ですから、
ザッ!!
引き返してきます。
波打ち際でむずと組んで、
ドバシャーー
馬から引き落とし、取っ組み合いになります。
上になり…
下になり…
熊谷が敵の兜をパーーンと払いのけてみると…
年の頃16、7。スッと目鼻立ちの整った若者でした。
「そもそも、あなたは、いかなるお方ですか。
お名乗りください。お助けいたします」
「そういう汝は?」
「名乗るほどの者ではございませんが、
武蔵の国の住人、熊谷次郎直実と申します」
「では汝に対しては名乗るまいぞ。
名乗らずとも首をとって人に問え。
我を討ち取らば、汝にとってはよい手柄となろう」
熊谷は調子狂っちゃうんですね。
熊谷にも小次郎という16歳の息子がいます。
今回の一の谷の合戦にも参加して、
左腕を負傷しました。
その時、熊谷はヒヤッとしました。
生きた心地がしなかったんですね。
(俺なんか、息子の小次郎がちょっと傷を負っただけで
ヒヤヒヤするんだ。ましてこの殿の父は、
息子が討たれたと聞いてどれほど悲しまれるだろう…)
武士である前に父親ですから、
子を持つ親の気持ちというものがわかるわけです。
「よし!お助けしよう」
後ろをきっと振り返ると、
ドドドドドド…
一の谷西口を攻撃していた土肥実平が、
50騎ばかりで押し寄せてきます。
目の前の若者は痛手を負っている、
このままではいずれ味方によって討ち取られてしまうだろう、
よし、それならば俺が自ら首を取って、
後の御菩提をおとむらいしようと、
熊谷は泣く泣く、その若者の首をはねます。
「ああ何と因果な商売か武士というものは。
情けないことに、討ち取ってしまったなあ」
袖を顔に押し当てて、さめざめと泣き入る熊谷。
そうはいっても、とにかく首をつつもうとしているところへ、
ふと見ると、首の無い死体の腰のところに笛がささっていました。
「ああ…風流なことだ」
熊谷はその笛を見て、つくづく感心します。
「この暁、城塞の中から管弦の音が響いたが、
さてはこの人々であったか。
俺たちの味方が何万騎いるかわからないが、
戦の陣へ笛を持ち込む、こんな風流を解するものがいるだろうか。
いや、一人もいない。みんな荒くれ者の、無教育な奴ばかりだ。
貴人とは、高貴な方というのは、生まれからして違うなあ」
熊谷はしみじみと感じ入って、大将の義経にその首を見せると、
その場に並み居る人々は皆、涙を流しました。
後に、この若者が清盛の弟経盛の三男、敦盛だったとわかります。
【平敦盛】
腰にさしていた笛は、その昔清盛の父忠盛が笛の名手であったため
鳥羽上皇より下されたのをその子経盛が相続し、
さらに敦盛に伝えられたものでした。名を「小枝」といいました。
熊谷は敦盛を討ったことにいたく心を痛め、
後に法然上人の弟子となり、「蓮生(れんせい)」と名乗り、
敦盛の菩提を弔うことに後の一生をささげたということです。
織田信長が幸若舞の「敦盛」を愛好したことは有名です。
信長は今川義元を敵にまわした桶狭間の合戦に臨む際、
また本能寺で討たれる際に
「敦盛」を歌い、舞ったといわれています。
人間五十年、下天の内をくらぶれば、夢幻の如くなり
一度生を得て、滅せぬ者のあるべきか
…熊谷直実が出家するときの思いを歌ったくだりです。
敦盛最期
いくさやぶれにければ、熊谷次郎直実、「平家の君達、たすけ舟に乗らんと汀の方へぞ落ちたまふらむ。あッぱれよからう大将軍にくまばや」とて、磯の方へあゆまするところに、ねりぬきに鶴ぬうたる直垂に、萌黄(もよぎ)匂の鎧着て、鍬形うッたる甲(かぶと)の緒しめ、こがねづくりの太刀をはき、切斑(きりふ)の矢負ひ、しげどうの弓持ッて、連銭葦毛なる馬に黄覆輪(きぶくりん)の鞍置いて乗ッたる武者一騎、沖なる舟に目をかけて、海へざッとうちいれ、五六段ばかりおよがせたるを、熊谷、「あれは大将軍とこそ見まゐらせ候へ。まさなうも敵(てき)にうしろを見せさせたまふものかな。かへさせ給へ」と、扇をあげてまねきければ、招かれて、とッてかへす。汀にうちあがらんとするところに、おし並べてむずとくんでどうど落ち、とッておさへて頸をかゝんと甲をおしあふのけて見ければ、年十六七ばかりなるが、うす化粧して、かねぐろ也。我子の小次郎がよはひ程にて、容顔まことに美麗也ければ、いづくに刀を立べしともおぼえず。「抑(そもそも)いかなる人にてましまし候ぞ。名のらせ給へ、たすけまゐらせん」と申せば、「汝はたそ」ととひ給う。「物、そのもので候はねども、武蔵国住人、熊谷次郎直実」となのり申。「さては、なんぢにあふては、なのるまじいぞ。なんぢがためにはよい敵(かたき)ぞ。名のらずとも頸をとッて人にとへ。見知らうずるぞ」とぞのたまひける。熊谷、「あッぱれ大将軍や。此人一人討ちたてまッたり共、まくべきいくさに勝べきやうもなし。又討ちたてまつらずとも、勝べきいくさにまくる事よもあらじ。小二郎がうす手負たるをだに、直実は心ぐるしうこそ思ふに、此殿の父、討たれぬと聞いて、いか計(ばかり)かなげき給はんずらん。あはれたすけたてまつらばや」と思ひて、うしろをきッと見ければ、土肥・梶原五十騎ばかりでつゞいたり。熊谷、涙をおさへて申しけるは、「たすけまいらんと存候へども、御方(みかた)の軍兵、雲霞のごとく候。よものがれさせ給はじ。人手にかけまゐらせんより、同くは、直実が手にかけまゐらせて、後の御孝養(おんきょうよう)をこそ仕候はめ」と申しければ、「たゞとくとく頸をとれ」とぞのたまひける。熊谷、あまりにいとほしくて、いづくに刀をたつべしともおぼえず、目もくれ心も消えはてて、前後不覚におぼえけれども、さてしもあるべきことならねば、なくなく頸をぞかいてンげる。「あはれ、弓矢とる身ほど口惜しかりけるものはなし。武芸の家に生まれずは、何とてかゝる憂き目をば見るべき。なさけなうも討ちたてまつるものかな」とかきくどき、袖をかほにおしあてて、さめざめとぞなきゐたる。良久しうあッて、さてもあるべきならねば、よろひ直垂をとッて、頸をつゝまんとしけるに、錦袋(にしきのふくろ)にいれたる笛をぞ、腰にさゝれたる。「あないとほし。この暁、城(しろ)のうちにて管弦し給ひつるは、此人々にておはしけり。当時みかたに、東国の勢なん万騎かあるられめども、いくさの陣へ笛持つ人はよもあらじ。上臈は、猶もやさしかりけり」とて、九郎御曹司の見参(げんざん)に入たりければ、これを見る人、涙を流さずといふ事なし。
後に聞けば、修理大夫経盛の子息に、大夫(たいふ)敦盛(あつもり)とて、生年十七にぞなられける。それよりしてこそ熊谷が発心の思ひはすゝみけれ。件の笛は、おほぢ忠盛笛の上手にて、鳥羽院(とばのいん)より給はられたりけるとぞ聞えし。経盛相伝せられたりしを、敦盛器量たるによッて持たれたりけるとかや。名をば小枝(さえだ)とぞ申しける。狂言綺語(きょうげんきぎょ)のことわりと言ひながら、遂に讃仏乗の因となるこそ哀れなれ。
語句
■あッぱれ ああ。 ■ねりぬき 練貫 生糸を縦糸。練糸を横糸にして編んだ高級な絹織物。 ■萌黄匂 袖や草摺の上部を濃い萌黄色に染め、下に行くに従って色が薄くなるようにグラデーションをつくったもの。萌黄色は青と黄色の中間。 ■切斑の矢 鷲や鷹の羽の斑点があるのではいだ矢。 ■まさなうも 見苦しくも。 ■しげどうの弓 弓の幹に藤弦を巻いた弓。 ■連銭葦毛なる馬 葦毛の馬で、背中に銭が連なっているような斑点のある馬。 ■黄覆輪の鞍 鞍の前後の山形になったでっぱり「覆輪」を金で縁取りした、高級な鞍。 ■さては お前がそういう下賤な身分の者であれば。 ■薄手 軽いケガ。 ■雲霞のごとく 雲や霞が立ち込めるように密集しているさま。 ■さてしもあるべきことならねば 「さてあるべきこともならねば」に強調の「しも」を挟んだ形。「さてある」は「そのままでいる」。そのままでいる事もできないので。常套句。 ■かきくどき くどくど恨み言を言って。 ■城のうちにて管弦したまひつる 熊谷が一の谷に先陣を狙った時に城の内から管弦の音が響いた。ただしこの記述は『平家物語』には無く、『源平盛衰記』にのみある。 ■当時 ただ今。現在。 ■上臈 高貴な人。 ■狂言綺語 「狂言」はでたらめの言葉。「綺語」は美しく飾っただけの内容のない言葉。小説・物語などの作り物をさす。音楽もそれだとする。『白氏文集』「香山寺洛中集記」による。「願以世俗文字業、狂言綺語之過、転為将来世世讃仏乗転法輪之縁」。
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本日も左大臣光永がお話しました。ありがとうございます。
ありがとうございました。