日宋貿易~経の島と音戸の瀬戸

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また平清盛といえば、「海」というキーワードがあります。
貿易。日宋貿易。お父さんの忠盛の代から、
中国や朝鮮との貿易で稼いでいました。

だから「清盛はスゴイ!」「海の向こうをみすえていた!」
なんて言いますが…、時代を考えると、実際スゴイことです。

迷信がはびこっていた時代です。今日とはぜんぜん感覚が違いました。

ある時清盛は福原の別荘に後白河法皇をまねき、
宋人とひきあわせます。

オーあなた日本の国王?ずいぶん頭サッパリねー
なんて言ったかわかりませんが、それまで中国人なんて見る機会が
無かった、新しもの好きの後白河法皇ですから、
さぞかし興味深く話したと思うんですね。

しかし、当時は外国人はケガレだ、
まして皇族が外国人に会うなんて
ゆるされないという風潮がありました。

九条兼実という貴族は、清盛が後白河法皇を宋人にひきあわせたことについて
「天魔の所為」と書いています。トンデモナイことだと。

…こういう迷信ぶかい時代だったわけです。

人柱をやめさせる

迷信といえば昔は人柱という残酷な風習がありました。
工事の成功を祈って、生きた人間を埋めるんです。
たまったもんじゃないですよ。息できないです。
死んじゃいます。

神戸の大輪田泊は清盛が大規模な修築を行い貿易の拠点とした港です。
奈良時代に大僧正行基という坊さんが作ったのを
清盛が貿易をするために修築しました。

大輪田泊
大輪田泊

この大輪田泊という港は六甲山から吹きさらす風のせいで、
波がザブザブすごかったのです。よし、
防波堤を作って、波を鎮めようということで、
港の正面に、人口の島をつくることになりました。

ダンプもショベルカーも無い時代です。
たくさんの人夫が、土砂をカゴに積んで、かついで、
ドサドサーと地道に埋め立てていったんでしょうね。

ところがこの工事がうまくいかない。
いいところでドザーと土砂が海水に流される。

工事を仕切ったのは阿波民部重能という四国の豪族です。
後に壇ノ浦で平家を裏切る人物です。

うーむ、これは竜神さまがお怒りなのじゃ。よし
人柱を立てて竜神さまのお怒りをしずめよう。
誰かわれこそはという者はおらんかーッ!
なんだ誰もおらんのか。工事の成功のためだぞ。

生き埋めなんてのは誰だってイヤです。
冗談じゃねえぞってかんじです。

そうか誰も名乗り出ないなら仕方ないな。
どっかから子供でもさらってこよう、
乱暴なことを言い出しました。

そこへ清盛が、こらこら何を話している。
何?人柱。ばかもの。そんな野蛮な話があるか。
工事の安全?迷信もたいがいにせよ。

それだったら工事に使う石を貸してみろ。
サラサラ…こう石にお経を書いて、どぼん、海にしずめる。
これでいいんだ。じゅうぶんだ。人柱?バカな。罪作りなことだぞ。
おまえたち、命というものは大切なものだ。

…こうして清盛は、人柱をやめさせたという話が残っています。

「お経を書いた石を沈めた」ということで「経の島」という
島の名前になりました。

『平家物語』は、基本的に清盛については
悪口ばっかり書いてあるんですが、この経の島については、
めずらしく清盛をほめています。

「今の世にいたるまで、上下往来の船のわずらひなきこそ目出けれ」

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父忠盛がはじめた日宋貿易

平家の宋との貿易は清盛の父・忠盛の時代にさかのぼります。

「すが目の忠盛」ということで
『平家物語』冒頭に登場する忠盛です。
すが目…目が斜視だったということです。
大河ドラマでは中井貴一さんがえらい存在感で演じておられます。

清盛の父忠盛。頭がキれました。商売の才能がありました。

忠盛は越前守だった時代に、福井の敦賀港に出入りする
宋や高麗の船を見ます。おいっせおいっせと
海岸で物資を運びこんでる。忠盛はそれを見て
ほお、こりゃ儲かりそうだ。ひとつ俺もやってやろう。

894年に菅原道真の進言で遣唐使が廃止されて以来、
日本国家としての中国との交易は行われていませんでした。
大宰府、平戸、敦賀などを拠点に、
ほそぼそとしたワタクシ貿易だけが続いていました。

博多 大宰府 鴻臚館

博多の海岸に、水平線のかなたにじわーっと船の姿が見えてきます。
「船が来たぞー船が来たぞー!!」

博多や大宰府の鴻臚館という建物で、宋や高麗から来た商人を
接待しました。鴻臚館の中庭に、ずらーーと品物を並べて、
今でいうフリーマーケットみたいな感じだったかもしれません。

お、こりゃいい硯ですな。アリガトウネ日本のお方。
その腰の刀とだったら交換するヨ。え、これはちょっと。
こっちの扇子とならどうです。そんなのはダメネ

とかいって、取引をしてるとこに、
えらそーに役人が乗り込んでくるんですね。

こらお前たち!まずはお上の取引が先じゃ。
そのあとで残ったものを宋人と取引せよ。

商売のおいしい部分はお上が持っていっちゃうわけです。
ちっこれじゃ儲かんねえなあ。
何とかお上を通さずに、直接取引できないかな。

肥前神崎荘

ということで、忠盛は、宋人と
直接取引することにしました。

有明海に面した肥前神崎荘の管理を鳥羽上皇より
まかされた忠盛は、この肥前神崎荘を拠点として貿易を行ないます。

肥前神崎荘
肥前神崎荘

しかも大宰府の役人を締め出すため、
鳥羽上皇の院宣をねつ造したという話が残っています。

忠盛が宋人と取引しているところへ、
またドカドカと役人が乗り込んでくる。

「こらお前たち!まずはお上の取引が先じゃ。
そのあとで残ったものを宋人と取引せよ」

そこで忠盛、バサッと書状を見せて、
「はァ?こっちは上皇さまの正式な院宣をいただいとるんじゃ。
大宰府がなんぼのもんじゃ。邪魔すんな」

こうしてお上の介入を避け、貿易の利益を独占します。

陶磁器や仏教の経典、宋銭を輸入する一方、
銀や水銀、日本刀などを輸出し、
忠盛は富を築いていきました。

また鳥羽上皇にめずらしい輸入品を献上して、
朝廷での立場もよくしていきました。

宋銭

父忠盛が築いたこういう地盤を、清盛は受けつぎました。
しかも父忠盛が都から遠い九州でやっていた貿易を、
清盛は都に近い瀬戸内海を舞台に、大々的に行ないました。

そのためには大宰府から瀬戸内海まで船をひっぱってこないといけません。
そこで神戸の大輪田泊を修築し、船が入りやすくしたわけです。

輸入品の中で特筆すべきは宋銭です。貨幣です。

なんで貨幣なんて輸入したのか?日本には貨幣はなかったのか?
もちろん日本にも貨幣はありました。708年に和同開珎という、
中学の歴史で必ず習うあの貨幣。

それ以後も何度か日本製の貨幣はつくられましたが、
物々交換がメインであり、広く流通するには至りませんでした。

しかし清盛の時代はじょじょに商業がさかんになっており、
いつまでも物々交換じゃ、たいがい不便だなあという感じでした。

そこへ!

清盛がドーンと大量の宋銭を輸入した。
ああこりゃ便利だ!商売がやりやすい!というわけで貨幣経済が発達し、
平家はその元締めとして、巨大な富をにぎることとなったわけです。

大百科事典「太平御覧」

また清盛は大百科事典「太平御覧」を輸入し、
言仁親王(ときひとしんのう)…
のちの安徳天皇を西八条の館に迎えたときに献上しました。

「太平御覧」は宋の第二代皇帝太宗が編纂させた大百科事典です。
ぜんぶで1000巻あったといいます。1000巻です!
スゴイですね。1巻がどれくらいの分量だったかにもよりますが、
大変な話です。しかもこのとき安徳天皇は1歳です。

この「太平御覧」…宋朝は輸出を禁じていましたが、
清盛は1000巻のうち300巻ほどを手に入れ献上しました。

かつて藤原道長が御朱雀天皇の皇太子時代に
「文選(もんぜん)」という、詩や文章を集めた書物を
献上した故事にならったものでした。

国際感覚あふれる君主としての教養を
つけてほしいというジジ心があったのでしょう。安徳天皇が
ちゃんと読んだかどうかはわからないですが…。

音戸の瀬戸 日招き伝説

広島にも清盛の逸話が残っています。

音戸の瀬戸は本州と倉橋島という島をはさんだ、狭い海峡です。
この音戸の瀬戸を清盛が開削したという話が残っています。
(『芸藩通史』『続西遊記』)

音戸の瀬戸
音戸の瀬戸

狭ーい海峡です。満潮の時は水が満ちているけども、
潮が引くと海底があらわれて、船が通れませんでした。

よしこの海峡を切り開こう。いつでも
船が通れるようにすれば、便利だぞ。
清盛は私財をはたいて、大規模な工事に着手しました。

突貫工事です。ある時夕方になって、もう日が沈む。
今日はもう作業できませんな。上がりにしましょう。

そこへ清盛が、
こらこら、もうちょっとではないか。その岩んとことか、
もうちょいやったらキリがいいんじゃないか。

そうは言ってもお屋形さま、もう日が暮れます。
ばかもの。太陽など清盛の思うがままじゃ。見ておれい。
すーと清盛が扇をあげて招くと、おおーっ!なんと!
にゅにゅにゅーと夕日が戻ってきたという…

音戸の瀬戸を清盛が開削したという説は
現在では否定されていますが、清盛という人は何でもできた、
すごい人だってことで生まれた逸話なんでしょう。

吉川英治氏は小説『新平家物語』を執筆する際に、
取材のために音戸の瀬戸を訪れ、「君よ、今昔の感如何」と
清盛をしのんだ言葉を残しています。

≫続き 「俊寛」



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