風姿花伝

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『風姿花伝』は室町時代初期の猿楽師世阿弥が父観阿弥の教えにもとづいて書いた理論書です。現在の【能】の原型となった【猿楽】の理論を論じています。

単に能だけのことではなく、人生論、芸術論としても読める奥の深さがあります。詩吟や俳句をされる方、絵を描かれる方、楽器を演奏される方には、「なるほど」と思われる部分が多いはずです。

内容は、各年齢における稽古のこころえ(たとえば7歳のときはこうしろなど)。演じる役ごとの注意(たとえば老人を演じる時は…など)。また観客を魅了し興行を成功させるための工夫。精神面から実践的なことまで、広く論じられています。

観阿弥・世阿弥親子は室町時代初期に役者として活躍し、足利義満の保護を受けました。現在でも上演される「高砂」「実盛」「井筒」などの能の演目は世阿弥によってつくられたものです。

秘すれば花

「秘すれば花」この言葉は特に有名です。『風姿花伝』が説く「花」という概念。どういう意味なのでしょうか?世阿弥は「花と面白きとめづらしきと、これ三つは同じ心なり」と書いています。

「花」=「面白いこと」=「珍しいこと」です。「観客を面白がらせ、魅了すること、感動させること」と理解していいと思います。

つまり「秘すれば花」とは、「隠して秘密にするからこそ、観客を感動させられる」ということです。あまりあけっぴろげにしたら白けちゃうということですね。チラッと見せて、想像力を刺激する。秘密にされると知りたくなる、見たくなるっていう心理。あるじゃないですか。

原文

秘する花を知ること。秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず、となり。この分け目を知ること、肝要の花なり。そもそも、一切の事(じ)、諸道芸(しょどうげい)において、その家々に秘事(ひじ)と申すは、秘するによりて大用(たいよう)あるがゆゑなり。しかれば、秘事といふことをあらはせば、させることにてもなきものなり。これを、「させることにてもなし」と言ふ人は、いまだ秘事といふことの大用を知らぬがゆゑなり。まづ、この花の口伝(くでん)におきても、「ただめづらしきが花ぞ」と皆知るならば、「さてはめづらしきことあるべし」と思ひまうけたらむ見物衆(けんぶつしゅ)の前にては、たとひめづらしきことをするとも、見手(みて)の心にめづらしき感はあるべからず。見る人のため花ぞとも知ら €€€€€€€€€€?§こそ、為手の花にはなるべけれ。されば、見る人は、ただ思ひのほかにおもしろき上手とばかり見て、これは花ぞとも知らぬが、為手の花なり。さるほどに、人の心に思ひも寄らぬ感を催す手だて、これ花なり。

現代語訳

秘密にすることが人を魅了する花につながる。それを知ること。「秘密にすれば人を惹きつけられる。秘密にしないと惹きつけられない」という。この分け目を知るのが、人を惹きつけることにおいて重要だ。

そもそも一切の事、いろいろな道において、それぞれの家で教えを隠しているのは、隠すこと自体に大きな意味があるからだ。なので隠していることを大っぴらに公開してしまえば、そうたいした内容でも無い。

これを「たいしたこと無い」と言う人は、いまだ「隠す」ことの効果の大きさをわかってないからだ。

ともかく、この花の口伝の書においても、「ただ珍しいことをやるのが面白いのだ」とみんなが思っていれば、「きっと今から珍しいことをやるな」と思って待ち構えている観客の前ではたとえ珍しい芸をしたとしても、観客の心には珍しさは沸き起こらないだろう。

どこで観客を面白がらせるかという、役者の意図が見えないからこそ、面白がらせることができるのだ。だから観客はただ「すごく面白い名役者だ」とばかり見て、そこにある役者側の意図をさとられないことこそ、役者として最良な花である。

そういうわけで、人の心に思いもよらない感動を催す手立てを「花」と言っているのだ。

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