石橋山の合戦

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頼朝は旗揚げするにあたって、
事前に相模の豪族三浦一族にも協力を取り付けておきました。

「三浦と合流なれば
平家恐るるに足らず!」

しかしその日8月23日は…

ドザーー

あいにくのどしゃ降りでした。
丸子川(現在の酒匂川)が氾濫し、三浦一族は足止めを食らっていました。

1180年(治承4年)8月23日 石橋山の合戦
【1180年(治承4年)8月23日 石橋山の合戦】

そこへ平家方の大庭景親三千騎が南下してきます。

頼朝は小田原の少し西、
海岸に近い石橋山に陣を取ります。
旗の先には以仁王の令旨をくくりつけてありました。

むかいあう両軍

頼朝軍300騎、大庭景親軍3000騎。
両軍は谷一つへだてて向かい合います。

南からは伊東祐親入道三百騎が北上してきます。
伊東祐親入道は頼朝にわが娘を寝取られたという話のある人物で、
そのことの恨みもあったかもしれません。

頼朝軍は北と南からはさみ討ちにされてしまいました。

両軍は谷を隔てて向かい合っているので、先に攻撃を仕掛けるには
まず敵前で谷を下り、さらに谷に上らないといけません。
とても危険です。10対1の戦力差といっても、どちらも容易には手を出せず、
嵐の中、にらみ合いが続いていました。

「むうー…
三浦一族と合流さえできれば!」

その三浦一族は、丸子川(酒匂川)のほとりで足止めを食っていました。

「嵐が止まねばどうにもならぬ!」

三浦一族は川を渡れないもどかしさに郎党たちをつかわして、
大庭景親の一党の宿所を焼き払います。
その煙は雨の中もくもくと立ち上り、空を黒く覆いました。

石橋山で頼朝軍と向かい合っている大庭景親の
本体からも、その煙が見えました。

「くうう…三浦の者どもめ」

そこで大庭景親は大英断を下します。

「嵐がやんで三浦一族と頼朝が合流してしまえば
手遅れになる。今、一気にケリをつけるべきだ」

「かかれ!!」

嵐の中、大庭景親軍3000騎は谷を一気に駆け下り、
ついで駆け上り、頼朝軍に襲いかかります。

佐奈田与一の奮戦

「いよいよか!」

つぶやいた頼朝の横から、

「御曹司殿!ここはお任せくだされ!
それがしが先陣をつとめまする!!」

「なにっ?」

バカカ、バカカ、バカカ

わずか十数騎を率いて頼朝の横を駆け下りていくのは、
25歳の若武者佐奈田余一義忠です。

頼朝が声を飛ばします。

「余一、その装束は派手すぎる。 敵の標的になってしまうぞ!」

「なんの。弓矢取る者の晴れ舞台。 戦場に過ぎたることがございましょうか」

「…うむ。あっぱれな若武者ぶり。頼んだぞ」

佐奈田余一義忠は嵐の中、平家軍の中を
むちゃくちゃに駆け抜け、あそこに一騎、こちらに一人、
切り伏せ、蹴飛ばし、八面六臂の活躍を見せます。

しかし平家方の俣野景久(またのかげひさ)と組合になり、 上になり、下になり、とうとう首掻っ切られてしまいます。

三千騎対三百騎。もとより多勢に無勢です。頼朝方は
あちらに討たれこちらに討たれ、頼朝自身も嵐の中矢を放ち放ち
後退していきますが、気が付くとわずかに主従七騎。

ぼろぼろになって引き退いていき、椙山方面に逃げ込みます。

しとどの窟

「探せ!遠くには行っていないぞ!」

頼朝一行は洞窟の中に身をひそめ、息を殺していました。

そこへ、平家方の武者が松明を持ってさがしに入ってきて、

「はっ!」「はっ!」

ばったり顔をあわせてしまいました。

「ぬぬぬ…」

刀に手をのばす頼朝。

「お待ちくだされ!……(キョロキョロ)
お助けいたします」
「何!」
「あなたが天下を取ったあかつきには私のことをお忘れなきよう」
「うむ…そなた、名は?」

「梶原景時と申します」

何食わぬ顔で洞窟を出た梶原景時。

「ここにはいない。他をさがせ」

そこへ大場景親が、

「いない?本当にいないのか。この洞窟なんかは、隠れやすそうじゃないか。
どれ、わしが探してみよう」

梶原ばっと前にへだたり、

「では大庭殿は、この梶原が嘘をついているとおっしゃいますか。
それ以上進むと武士の名誉にかかわりますぞ」

こうして梶原景時は場を取りつくろい、頼朝を逃がしました。

後に鎌倉幕府の御家人として、頼朝の懐刀として活躍した梶原景時。
その出会いは湯河原しとどの窟において梶原が頼朝を
助けたことにあるという一つの伝説です。

北条時政は甲斐の武田信義をたより落ち延びました。嫡子宗時は北条館に戻ろうとして伊東祐親軍に討ち取られました。

≫次章「小坪合戦」

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