? 聴いて、わかる。平清盛 橋合戦

橋合戦

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「橋合戦」は『平家物語』で初めて描かれる
合戦シーンです。

祇園精舎から続けて『平家物語』を読み続けると、
「橋合戦」の章ではじめて
戦闘行為が描かれます。

三井寺に逃げ込んだ以仁王でしたが、
三井寺だけでは平家とは戦えない、ということで
奈良の興福寺との合流をはかり
早朝、三井寺を出発します。たくさんの三井寺の僧兵をつれて。

平家方はこの以仁王の動きをいち早くつかみます。
「高倉宮をとらえよ!」

平家方、以仁王に追いつく

というわけで、大将軍知盛重衡以下二万八千騎が
宇治方面に向かってきます。

以仁王は、宇治に向かうまでに六度も落馬されます。
昨夜は眠っていないこともあり、コックリコックリ…
どたっと落ちるんです。

「無理はいけません。平等院でしばらくお休みください」
「そうは言っても急がねば平家が追ってくるではないか」

「ならば橋げたをはずしてしまいましょう」

橋げたをはずして、宇治川の西側までこれないようにしました。

平等院付近
平等院付近

そうして以仁王が平等院でお休みになっていると、

どどどどどと平家方が攻め寄せてきます。
なにしろ二万八千騎です。まあ平家物語は数字はおおげさに
言うので、実際は数千騎だったといいますが…
それでも大軍です!

先のほうのことなんか、後ろ側ではわからないですよ。

あっ!橋げたがはずしてあるぞ!
待て!とまれ!

なんだ、何か言ってやがんなあ。かまわん進め
無理やりに後ろがワーッ進んできて、
うわーーっボチャボチャと宇治川につき落とされていきます。

宇治川、流れが速いです。
しかも重い鎧をまとってますからね。
落ちたら、たまったもんじゃないです。

橋の両方から、平家方、以仁王方双方からヒょーっ
矢を射あいます。「矢合わせ」といって、戦をする前の
一種の儀式です。この時代の戦はわりと儀礼にのっとって行われました。
戦する前から日時もちゃんと決めてから戦いました。

矢切りの但馬

「出番であるな」

ガチャリ武器を取る三井寺の僧兵たち。
「橋合戦」の章は僧兵たちの戦いっぷりが見事です。
一番の見せ場です。

ここに五智院の但馬、大長刀のさやをはずいて
ただ一騎、橋の上にぞすすんだる。

カッコいいんですよ。登場の仕方から。文章から。

ここに五智院の但馬、大長刀のさやをはずいて
ただ一騎、橋の上にぞすすんだる。

「ここに」ですからね!
いきなり登場します五智院の但馬!
三井寺の僧兵、五智院の但馬です!!

平家方は「射殺せーー!!」ヒュヒュヒュヒューと
矢を射かける!それを但馬、橋の上で、
上を飛んできた矢はつっとくぐって、
下を飛んでくる矢は飛び上がって逃れ、
正面にヒョーと飛んできたのはえいっ、薙刀で
切り落とします。

「おおおーー」「見事」

敵も味方も、感心します。
この戦いっぷりによって、「矢切の但馬」とよばれることなりました。

筒井の浄妙明秀

そして『平家物語』の一番の花は、武士のカッコいい
「名乗り」です。これは、語るほうもワクワクしますね。
琵琶法師も、さぞ気合こめて名乗ったと思うんですよ。

座って、べんべんと琵琶を鳴らしてたのが、
ここぞと立ち上がって、ジャンジャンジャカジャカジャンジャカジャンと
エレキギターかってくらいに。

名乗りを上げるのは三井寺の僧兵、筒井の浄妙明秀です。
たいがい『平家物語』の武士の名乗りは「装束の解説」とセット
になっているんですが、これがまたカッコいいです。
リズムがいいです。

堂衆のなかに、筒井の浄妙明秀は、かちの直垂に、黒皮威の鎧着て、
五枚甲の緒をしめ、黒漆の太刀をはき、廿四さいたるくろぼろの矢おひ、
塗籠藤の弓に、このむ白柄の大長刀とりそえて、橋のうへにぞ
すすんだる。

現在では聞きなれない言葉ばかりですよね。
これ聴いて、すぐにイメージわくって方は、特別勉強されてる方か
鎧とか甲冑に興味がある方だけだと思います。

ようは、全身真っ黒けなんですよ。鎧も、刀も、矢も
黒、黒、黒。その中に長刀だけが、ギラッと白く光っているという…
カッコいいじゃないですか。たまんないですよ。悪!!って感じ。

で、黒ずくめの僧兵、筒井の浄妙明秀、
ギラッと長刀を手に、名乗ります!

「日ごろはおとにもききつらん、今は目にも見給へ。
三井寺にはそのかくれなし、堂衆のなかに、筒井の浄妙明秀といふ
一人当千の兵物ぞや。われと思はん人々はよりあへや、見参せん」

二十四本の矢をババババハと速射、十二人を射殺して、
十一人に傷を負わせると、えびらというこういう…
矢を入れる木のハコですね。この箙をからと投げ捨てて、
宇治橋の、橋げたをはずしてある、
橋の骨ばっかり出ているようになっている上を、
さらさらさらと走り抜けていきます。

「人は恐れて渡らねど浄妙坊が心地には一条二条の王路とこそ
ふるもうたれ」

薙刀で五人を切り伏せ、六人目にしてバキィと
長刀をうち折り、太刀に持ちかえて、でやあ、とりゃあ、
憤怒ーと八人を切り伏せ、九人目の、甲のてっぺんにパカーンと強く
打ちこみすぎて、根本から折れた刀がヒューーん、ざぶと
宇治川に飛び込みます。

刀を失った筒井の浄妙明秀、しかし!
腰の短刀を抜き、さらに死にもの狂いで戦いまくります。

一来法師

その後ろから、

一来法師という僧兵が進んできます。

目の前では筒井の浄妙明秀が戦っている、
橋の板をはずしているんです。だから橋の細い骨組の上で
戦ってるんです。一歩間違うと、落ちます。危ないです。

一来法師は筒井の浄妙明秀の後ろから、

「悪いな浄妙坊、先に行かせてもらうぞ!」
「何ッ?!」

浄妙の肩に手を置いて、ずんっと
「をどり超えてぞ戦いける」
「をどり超えてぞ戦いける」

いいじゃないですか。ワクワクします。この、肩に手を乗せて、
空中でバッと一瞬逆立ちになっている!そこをスローモーションでたっぷり見せて、

「ずんどをどり超えてぞ戦いける」

たまらない合戦シーンです。

足利又太郎忠綱の馬筏

平家方は橋の上のそんな、曲芸めいた戦いなど
経験が無いですから、ボチャンボチャン川に落ちます。

平家方の侍大将上総守忠清が
大将軍知盛に進言します。

「橋の上の戦いは分が悪いです。
一気に宇治川をわたりきってしまいたい所ではありますが…
あいにく五月雨の季節。たいへんな水かさです。
わたせば馬も人も多く流されましょう。
下流の淀か一口(いもあらい)から渡りましょうか
もしくは河内方面から回り込みましょうか」

そこへ待ったと進み出たのが今回の主人公、
下野国の住人足利又太郎忠綱です。17歳です。ただの17歳じゃない、
かの平将門を滅ぼした俵藤太秀郷の末裔です。
俵藤太秀郷といえば大ムカデ退治で有名です。その子孫です。
声は十里先までも響き、歯は三センチもあってキバになっていたといいます。

その足利又太郎忠綱17歳が言います。

「遠回りなどしていては高倉の宮は南都と合流してしまいます。
一気にわたってしまいましょう!目の前に敵がいるのに、
川が深いの浅いの言っていられますか!」

「馬筏」という作戦です。
ズラッと馬を並べて、強い馬は上流に、弱い馬は下流に立て、
ざぶざぶと宇治川をわたっていきます。

足利又太郎忠綱の馬筏
足利又太郎忠綱の馬筏

遅れそうな者があれば「おい!つかまれ」「おお、すまない」
ということで助けあい、
馬の頭が沈めば「もうちょっとの辛抱だぞ」と引き上げて、

手を取り合い、肩を並べて、馬を筏のように浮かべて、
深く、そして流れの速い宇治川をざぶんざぶんと渡っていきます。

三井寺の僧兵たちが見せた個人プレイに対し、
平家方は、チームワークの力です。

足利又太郎忠綱の名乗り

ザアッと宇治川を渡り切って、
敵の前にまっ先に躍り出た足利又太郎の名乗りです!

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「とほくは音にも聞き、ちかくは目にも見給へ。
昔、朝敵将門をほろぼし、勧賞かうぶッし俵藤太秀里に十代、
足利太郎俊綱が子、又太郎忠綱、生年十七歳、
かやうに無官・無位なる物の、 宮に向ひまゐらせて、
弓を引き矢を放事、天のおそれすくなからず候へども、
弓も矢も冥加のほども、平家の御身のうへにこそ
候らめ。三位入道の御かたに、われと思はん人々は、
よりあへや、見参せん」とて、
平等院の門のうちへ、攻め入攻め入戦ひけり」
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『平家物語』は娯楽大作

残念ながら『平家物語』で大活躍する
矢切の但馬や筒井の浄妙明秀や一来法師は作者の創作で、
じっさいには、そんな人物はいなかったようですが…。

なんでわざわざ架空の人物を創作してまで
話もりあげたかって話ですよ。

この「橋合戦」の合戦シーンなどを見ると、
平家物語は諸行無常で、盛者必衰だと、
南無南無と神仏にひたすら祈っている、
そういう線香くさい話では、けして無いことがわかりますね。

娯楽大作です。合戦シーンは
時代劇かハリウッド映画かってくらい、
盛り上がります。

戦で亡くなった方々の魂を慰めるために「平家物語」が
書かれたという説もありますが、
魂なぐさめるにしちゃあ、合戦シーンがあまりに
盛り上がるじゃないですか。
娯楽性にあふれています。

≫続き 「平等院の戦い」

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