? 聴いて、わかる。平清盛 延暦寺・興福寺の動き

延暦寺・興福寺の動き

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以仁王は大津の三井寺へ逃げ込みます。
三井寺では以仁王を歓迎します。今こそ思い上がった平家をこらしめる
絶好の機会と息巻きます。

しかし三井寺だけでは、とうてい
平家の強大な軍事力にはかなわないのは明らかです。

「よし!延暦寺と興福寺に協力を頼もう」
ということで、手紙を出すことになりました。

延暦寺との同盟は失敗

延暦寺に送る手紙には、
「園城寺と延暦寺は長年いがみあってきたといっても
もとは同じ天台宗を学ぶ者。たとえば鳥の左右の翼、
車の二つの輪のようなものである。今こそ力をあわせて
宮の御命を守り、平家の悪逆をこらしめようではないか」

しかし、
「鳥の左右の翼、車の両方の車輪」
この言葉が延暦寺を怒らせてしまいました。

「これでは延暦寺が園城寺と同格のようではないか!!
もともと園城寺はわれら延暦寺の智証大師が再建されたもの!
いわば格下である!比叡山のほうが上なのだ!!」

わりとこういう、
つまんないことにこだわっていました。

平家の延暦寺への根回し

しかも、延暦寺の第55代の御座主さん明雲という方は、
清盛と個人的に親しかったです。

(御座主さんというのは延暦寺の住職で天台宗のトップのことです)

清盛が出家した時も、この天台座主明雲が
お世話をしています。

清盛は車に乗って、延暦寺まで明雲座主を
訪ねていきます。

「今度の以仁王の一件、
延暦寺には手を出さないでいてもらいたい」

「だまって静観しろと?」

「ただで、とは言いません。
ささやかながらお礼を用意して参りました」

ドカドカーと、米俵や絹織物が広げられます。
で、平家の下人たちがそれ持って、比叡山の宿坊のひとつひとつを
たずねて、「どうぞ」「好きなだけ取っていってください」

すると延暦寺の僧たちは、
「ウワーッ!俺のモンだ!俺のモンだー!」

あさましさを隠しもせず、
飛びつきました。

ようはワイロを送って、事前に延暦寺が手出さないように、
園城寺・以仁王と組んで平家と敵対しないように、
根回しおいたんですね。

逆にいえばそれくらい延暦寺というのは
戦の勝ち負けを左右するくらい、
大きな存在だったわけです。

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興福寺は園城寺に味方する

一方、

奈良の興福寺は、反平家よりでしたし、
園城寺に味方することを言ってきました。

興福寺から園城寺へ返ってきた手紙には、
清盛をののしる強烈な言葉がありました。

「清盛は平氏の糟糠(そうこう)、
武家の塵芥(ちんがい)」

「糟糠」とは酒かすと米ぬか。
「塵芥」はチリとゴミ。ようはゴミクズってことです。

「清盛は平氏の糟糠(そうこう)、
武家の塵芥(ちんがい)」

今をときめく清盛に、誰も逆らうことのできない清盛に、
強烈な言葉を言ってのけました!!

この手紙を書いたのが後に木曽義仲のもとで
軍師として活躍する(という説のある)
太夫坊覚明(最乗房信救)という僧です。

清盛があまりにこの手紙をみて激怒したため、
「やばい」と覚妙、北陸へのがれ、
木曽義仲のもとに身を寄せました。

頭は切れるが口は悪い、太夫坊覚明…
伝説にいろどられた謎の多い人物です。

以仁王、三井寺を出発

というわけで、

三井寺には以仁王、
そして遅れて合流した源三位入道頼政、

都には平家一門、

南都の興福寺は三井寺と協力して
以仁王を助ける、

延暦寺は静観している、

以仁王、平家一門、比叡山、南都
以仁王、平家一門、比叡山、南都

こういう状況の中、

以仁王、源三位入道頼政は
僧兵たちをひきつれて、
南都興福寺の勢力と合流しようと
早朝、三井寺を出発します。

平家方はこの動きをいち早く察知し、
大将軍知盛重衡以下24000騎の
討伐軍を差し向けます。

次回、いよいよ以仁王の乱の
クライマックスともいうべき
「橋合戦」。『平家物語』で
はじめて描かれる合戦の場面です。

≫続き 「橋合戦」



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