方丈記

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ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。

鴨長明作『方丈記』は鎌倉時代初期の随筆です。
建暦2年(1212年)に書かれました。

清少納言『枕草子』兼好法師『徒然草』と並び
日本三大随筆のひとつとされます。

(もっとも統一された一本の筋があるので、
「随筆」というには当たらない気がしますが)

『方丈記』全章の解読はこちら

世の無常を華麗な文体でつづった有名な書き出しから始まり、
この時代をおそった5つの災害が描かれます。

安元の大火、治承の辻風、福原遷都、養和の飢饉、元暦の大地震。

このような災害を通して、長明はつくづくイヤになってしまうのです。
こんな世の中に、出世だ家だとこだわって、
バカバカしいことであると言って、出家してしまいます。

そしてまず京都北の大原に、ついで伏見の日野山に隠棲します。

殺伐とした前半とうってかわって、
後半はノンビリした隠遁生活の様子が描かれます。

『方丈記』とタイトルにもなっている、
「方丈」3メートル四方、五畳くらいの広さの庵をたてて、
妻子もいない、気ままな一人暮らし。

琵琶をかきならしたり、
近所の子供と遊んだり…
いい雰囲気です。

しかし、巻末ではこの静かな生活に執着することすら、
仏の道に入ることのさまたげになるのだと、
どうにも煮えきれないことを言って、筆を置きます。

時代背景

『方丈記』が書かれたのは、平安時代末期から
鎌倉時代初期にかけての、世の中が激しく乱れた時代です。

源平の争乱がありました。
平清盛が平家の棟梁となり、武士の世の中がきます。

保元の乱(1156)、平治の乱(1159)、
二度の合戦を経て力をつけた平家一門。

しかし、やがて台頭した源氏によって
壇ノ浦にほろぼされます。

かわって政権をにぎった源氏も長くは続かず、
頼朝、頼家、実朝とわずか三代で
臣下の北条氏にとってかわられます。

このような戦や政治不安に加えて、
さまざまな災害が襲いました。

火事、大風、遷都、飢饉、地震…

その悲惨さは『方丈記』の中にリアルに描かれています。

作者 鴨長明

作者の鴨長明について「こはごはしき心」という
評価が残っています(「源家長日記」)。
強情で、ガンコ者ってことです。

鴨長明は京都左京区の下鴨神社の禰宜(神社の神官)、
鴨長継の次男として生まれます。

下鴨神社は鴨御祖(かものみおや)神社ともいい、
時代劇の撮影で有名なところです。
京都賀茂川と高野川(たかのがわ)の間の三角州地帯にあります。

鴨長明は俊恵法師(しゅんえほうし)に和歌を学び、
中原有安(なかはらのありやす)に琵琶を学びます。

将来を約束されていたエリートと言っていいでしょう。

しかし、お父さんが早くに亡くなったこと、
一度は推薦された河合社(ただすのやしろ)の禰宜の地位に
つけなかったことから、人生が狂い始めます。

それで、ふてくされてかどうしてか、
ハッキリとした理由はわかりませんが、

もうイヤだ、ということで出家します。
まず京都の北の大原に、ついで伏見の日野山に
庵をむすび、隠遁生活に入ります。

その隠遁生活の中で書かれたのが『方丈記』です。
出世コースからはずれたエリートの恨みが、
淡々とした文章の中ににじんでいるようにも感じられます。

ゆく河の流れは絶えずして

原文

ゆく河の流れは絶ずして、しかももとの水にあらず。よどみに浮ぶうたかたは、かつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人と栖と、またかくのごとし。たましきの都のうちに棟を並べ、甍を争へる高き賤しき人の住ひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家は稀なり。或は去年焼けて、今年作れり。或は大家ほろびて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変らず、人も多かれど、いにしへ見し人は、ニ三十人が中にわづかにひとりふたりなり。朝に死に夕に生るるならひ、ただ水の泡にぞ似たりける。知らず、生れ死ぬる人いづかたより来りて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、誰がためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その主と栖と無常を争ふさま、いはばあさがほの露の異ならず。或は露落ちて、花残れり。残るといへども、朝日に枯れぬ。或は花しぼみて、露なほ消えず。消えずといへども、夕を待つ事なし。

現代語訳

河の流れは絶えることなくどこまでも流れていき、しかもそれは元と同じ水ではない。よどみに浮かぶ泡は一方では消え一方ではでき、長い間留まっているということがない。世の中の人とその住居とも、同じようなものだ。

玉を敷き詰めたような美しい都のうちに棟を並べ、甍の高さを競い合っているような高貴な人や賤しい人のすまいは、永遠に無くならないように思えるが、これを「本当か?」と尋ねてみると、昔あった家でかわらず在り続けているのは稀である。

あるいは去年焼けて今年建てなおしたり。あるいは大きな家が崩されて小家になったり。住んでいる人も同じだ。場所は変わらず、人は多いといっても昔見た人はニ三十人のうちにわずかに一人二人といったところだ。

朝に死んで夕方に生まれる、人の性質はまったく水の泡のようなものだ。私にはわからない。

生まれては死んでいく人々がどこから来てどこへ去っていくのか。またこれもわからない。この世で仮の宿にすぎないのに、誰のために心を悩ませるのか、何によって目を喜ばせるのか。その、主人のその住居が無常を競い合っている様子は、言ってみれば朝顔の露と変わらない。

あるいは露が落ちて花が残ることもあるだろう。残るといっても、朝日とともに枯れてしまう。あるいは花がしぼんで、露がまだ消えないでいることもあるだろう。消えないといっても、夕方まで持つものではない。

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