一門大路渡

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二宮のご帰還

故高倉上皇の第二皇子守貞親王は
安徳帝とともに平家一門に連れ去られていましたが、
三年を経てご帰還なさいました。

これを迎える人々の喜びは大変なものでした。
とりわけ御母君とお守り役持明院の宰相は
喜びの涙にくれました。

平家一門 大路引き回し

3月26日、
生け捕りにされた平家一門の人びとが
八葉の車に乗せられて都入りします。

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八葉の車とは?

牛車の種類の一つで、
車の箱の表面を萌黄色(黄緑)に塗り、
八葉の紋…
大きな円のまわりを八つの円が取り囲む紋様を
付けたものです。

身分の上下にかかわらず、広く用いられました。

紋の大小によって「大八葉」「小八葉」に分けられます。

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車の前後の簾を上げ、
左右の物見扉を開いて、
外から丸見えにしてさらし者にされます。

大臣殿平宗盛は、白い狩衣を着、
その子右衛門守清宗は白い直垂を着て
車の尻に乗っておられました。

その後を大納言時忠卿を乗せた車がつづきます。

時忠卿の子息讃岐中将時実も同じ車で引き回されるはずでしたが、
病気中だったので引き回されませんでした。

内蔵卿信基は負傷していたので、
わき道より都入りしました。

大臣殿平宗盛は、あれほどきらびやかに輝いていた方だったのが、
ゲッソリやつれ果てていました。

嫡子右衛門守清宗は、ひたすらうつむいて
目を伏せていました。

土肥実平が三十騎ばかりを率いて
車の警護にあたります。

見物に集まってきた人々は
老若男女、鳥羽から京都まで街道沿いに
何十万人という人だかりができました。

「ああ…あんなに華やいでいた平家御一門がのう」
「わからないもんだなあ。世の中というものは」

人々は涙ながらに、言い合いました。

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供を願い出た牛飼い

宗盛の牛飼いは、長年宗盛に召し遣われてきた者で、
最後のおつとめがしたいと義経に願い出てます。

「問題は無かろう。さあ」

こうして牛飼いは最後のおつとめに
立派な装束を着て、涙ながらに宗盛の車を
進めていきました。

後白河法皇の反応

後白河法皇は六条東洞院に車を立てて御覧になっていました。
多くの公卿・殿上人たちも車を立てて同じようにご覧になっていました。

後白河法皇はつぶやきます。

「平家の滅亡はわれが最も望んだこと。
今それがかなったのだが…
宗盛…長年近くに召し置いていた御辺が捕らわれているのを
見ると、さすがに心が痛む」

「まさかこんなことになるなんて」

お供の人びとも夢を見ているような心地で
涙を落としました。

先年、宗盛が内大臣に就任した際には
多くの公卿・殿上人にかしづかれ、
それは目出度く、はなやかな様子でした。

しかし今、

付きそう公卿・殿上人は一人も無く、
壇ノ浦で生け捕りにされた侍たちが白い直垂を着せられ
馬に縛り付けられて引き回されているのでした。

わが子をいたわる宗盛

宗盛父子は六条大路を鴨川まで引き回され、
また同じ路を引き返します。
そして六条堀川の義経の宿所に連れて行かれます。

食事を出されますが、胸がいっぱいで
箸を取ることもできず、父宗盛と、子息清宗と
互いに目をみあわせていました。

夜になりますが宗盛は
装束を着替えることもせず
袖を片しいてお休みになられました。

しかし、しばらくすると起きだして、
わが子右衛門守清宗に袖をお着せになります。

これを見て警護にあたっていた武士たちも
「ああ…親子の情ほど深いものは無い」と
涙を流しました。

≫次章「腰越」



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