志度合戦

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平家方、敵を大勢と見誤る

夜が明けると平家方は屋島の東にある志度まで
舟で五剣山をぐるりとまわって退き退きます。

屋島から志度へ
【屋島から志度へ】

義経は二百騎の中から八十騎をえりすぐって
志度に押し寄せます。

平家方はこれを見て「敵は小勢だ。包囲殲滅せよ」と
千人あまりが渚に上がり、攻め立てました。

しかし、源氏方八十騎の後ろから、
やや遅れて屋島に残存していた二百騎あまりが
押し寄せてきました。

平家方は、
「まずい。敵は大勢だ。何十万騎いるだろう。
包囲されてしまっては勝ち目は無い」と、

舟に取り乗って、どこを目指すともなく
逃げ落ちていきました。

伊勢三郎義盛の交渉

義経は志度に上陸し首実検をしていましたが、
配下の伊勢三郎義盛を召して言います。

「阿波民部重能の嫡子田内左衛門教能(でんないざえもんのりよし)は
河野通信を討つために伊予へ向かっていたが、
大将の河野通信は討ち漏らしたものの百五十人の首を挙げて、
先日屋島の内裏に参上した。その田内左衛門教能が今日、
こちらへ到着すると聞いている。お前行って、どうにか
味方に引き入れてまいれ」

「やってみましょう」

伊勢三郎義盛は、白旗一流れを持って
白装束で田内左衛門のもとに向かいます。

道で、伊勢三郎義盛の白旗と
田内左衛門の赤旗が向かい合います。

「なんじゃお前は」

「源氏の大将軍、九郎判官殿の身内に
伊勢三郎義盛と申します。戦をするつもりで参ったのではございません。
鎧もまとわず、弓矢も持っていませんので、お通しください」

田内左衛門は伊勢三郎義盛を通します。

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伊勢三郎義盛、言います。

「すでにお聞きでしょうが、鎌倉殿の御弟
九郎大夫判官殿が平家追討の院宣を給わって西国へ向かわれ、
一昨日阿波国勝浦にて、貴殿の叔父、
桜間介殿は討ち取られました。

そして昨日、
屋島の内裏はみな焼き払われ、
宗盛父子は生け捕りにされ、
能登殿は自害されました。

その他の方々はあるいは討死し、
あるいは海に身を投げられました。

貴殿の父阿波民部重能殿は生け捕りになり
この義盛が預かっております。

父君はおっしゃっておりますぞ。

「ああなんと哀れな田内左衛門よ、
すでに父が捕えられたことを知らず、
無益な戦をいどみ、討たれることになろう」
と。

それがあまりに哀れで、お知らせに参りました。

この上は戦をして討死するも、
降参して父君と再びお目にかかるも、
どうともご自由になされ」

「くっ…」

田内左衛門は降服を決めます。

配下の武士三千騎は、わずか十六騎に引率されて、
義経軍に降伏しました。

こうして田内左衛門が源氏方に降服したことが、
その父、阿波民部重能が壇ノ浦で平家を裏切ることの
大きな布石となります。

梶原 六日の菖蒲

同2月22日の朝、
津の国渡辺に留まっていた二百艘あまりの舟が
梶原景時を先頭として屋島の磯に到着します。

「なんじゃ今ごろ来て。屋島はもう判官殿が攻め落としたぞ。
まったく梶原殿は役立たずの六日の菖蒲じゃ」

人々は笑いあい、「くっ」とかみしめた梶原の屈辱は
大変なものでした。

≫次章「壇ノ浦合戦」



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