東山より帰京

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原文

八月になりて、二十余日の暁がたの月、いみじくあはれに、山の方はこぐらく、滝の音も似るものなくのみながめられて、

b思ひ知る 人に見せばや 山里の 秋の夜ふかき 有明の月

京に帰り出づるに、渡りし時は、水ばかり見えし田どもも、みな刈りはててけり。

b苗代の 水かげばかり 見えし田の かりはつるまで 長居にしけり

十月つごもりがたに、あからさまに来てみれば、こぐらう茂れりし木の葉ども残りなく散りみだれて、いみじくあはれげに見えわたりて、心地よげにささらぎ流れし水も、木の葉にうづもれて、あとばかり見ゆ。

b水さへぞ すみたえにける 木の葉散る 嵐の山の 心ぼそさに

そこなる尼に、「春まで命あらばかならず来む。花ざかりはまづつげよ」などいひて帰りにしを、年かへりて三月十余日になるまで音もせねば、

b契りおきし 花のさかりを つげぬかな 春やまだ来ぬ 花やにほわぬ

旅なる所に来て、月のころ、竹のもと近くて、風の音に目のみさめて、うちとけて寝られぬころ、

b竹の葉の そよぐよごとに 寝ざめして なにともなきに ものぞ悲しき

秋ごろ、そこをたちて外へうつろひて、そのあるじに、

bいづことも 露のあはれは わかれじを 浅茅が原の 秋ぞ悲しき

語句

■二十余日の暁がたの月 有明の月。二十日過ぎの月は夜遅く出て、明け方近くまで残っている。 ■似るものなく 他に似たものが無いほど情緒が深い。 ■あからさまに ちょっと。かりそめに。 ■旅なる所 方違えなどで実家以外の家に行くのも「旅」ととらえる。 ■うちとけて くつろいで。

現代語訳

八月になって、二十日過ぎの暁がたの月が、たいそう情緒深く、山の方は薄暗く、滝の音も他に似たものが無いほど情緒深い中、あたりの景色をぼんやり眺めていて、

風情を解する人に見せたいなあ。山里の秋の夜深い、この有明の月を

東山を発って京に戻る道すがら、東山に来た時は水ばかりと見えた田も、みな刈り入れが終わっている。

苗代に一面、水を張っていた田。それが今やすっかり刈り入れが終わっている。私たちはずいぶん長く東山にいたのだなあ。

十月末ごろ、ちょっと東山に来てみると、薄暗く茂っていた木の葉が残りなく散り乱れており、たいそう趣深くあたり一面見渡せて、心地よくさらさらと流れていた水も、木の葉にうずもれて、流れの跡だけが見えている。

私たちが引っ越してから、水すらも住み果てたのだ。木の葉散る嵐の山の心細さに。

東山にすむ尼に、「春まで命があれば、必ずまた来ます。花ざかりにはまず教えてください」など言って帰ったのを、年明けて三月十日過ぎになるまで連絡が無いので、

b契りおきし 花のさかりを つげぬかな 春やまだ来ぬ 花やにほわぬ

約束していた花の盛りをお知らせくださいませんね。春はまだ来ないのでしょうか。花は色づかないのでしょうか

よその家に移ってきて、月のころ、竹のもとに近く、風の音に目ばかりさめて、落ち着いて寝られない時、

b竹の葉の そよぐよごとに 寝ざめして なにともなきに ものぞ悲しき

竹の葉がそよぐ夜ごとに、その、竹の一節ごとに、目が覚めて、なんとなく物悲しいことよ。

秋ごろ、そこを出発して、外へ移ってから、もとの滞在先の主人に、

bいづことも 露のあはれは わかれじを 浅茅が原の 秋ぞ悲しき

どこであっても秋の露の情緒は変わるものではありませんが、あなたのお宿の浅茅が原の秋がしみじみ懐かしいです。

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解説:左大臣光永

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