伊勢神宮・西行谷

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松葉屋風瀑が伊勢に有けるを尋音信て、十日計足をとゞむ。腰間に寸鉄をおびず、襟に一嚢をかけて、手に十八の珠を携ふ。僧に似て塵有、俗ににて髪なし。我僧にあらずといへども、髪なきものは浮屠の属にたぐへて、神前に入事をゆるさず、暮て外宮に詣侍りけるに、一の華表の陰ほのくらく、御燈処〃に見えて、「また上もなき峯の松風」身にしむ計、ふかき心を起して、

みそか月なし千とせの杉を抱くあらし

現代語訳

松葉屋風瀑が伊勢にあるのを訪問して、十日ほど滞在した。腰に刀も差さず、襟に頭陀袋も下げ、手には数珠を携えている。僧のようで俗世の塵にまみれているし、俗人であるかと思えば髪を剃っている。私は僧ではないのだが髪の無い者は僧のたぐいとみなされて、伊勢神宮の神前に入ることを許されない。そこで日が暮れてから外宮に参詣したところ、一の鳥居の影がほの暗く、燈台が所々に見えて「この上なく尊い峯の松風」と西行法師が詠んだ情緒も身にしみるほどで、深い感動を覚えて、

みそか月なし千とせの杉を抱くあらし

月の無い晦日の夜、樹齢千年とも思われる杉を抱くように、嵐が吹いている。

語句

◆松葉屋風瀑…まつばやふうばく。蕉門。伊勢度会(わたらい)の人。垂虹堂と号す。 ◆腰間に寸鉄をおびず…腰に刀さえ差さず。 ◆嚢…頭陀袋。 ◆十八の珠…数珠。全集では珠の数は十八個。 ◆浮屠…ふと。仏陀。僧のこと。 ◆外宮…げくう。衣食住の守り神である豊受大御神(とようけのおおみかみ)を祀る豊受大神宮(とようけだいじんぐう)。内宮(ないくう)は天照大御神(あまてらすおおみかみ) を祀る皇大神宮(こうたいじんぐう)。外宮と内宮は5キロほど離れている。伊勢参りはまず外宮に参詣し次に内宮に参詣するのが順序とされる。 ◆華表…鳥居。 ◆「また上もなき峯の松風」…この上もなく尊い峯の松風。西行「深く入りて神路の奥をたづぬればまた上もなき峰の松風」(『山家集』)。


西行谷の麓に流あり。をんなどもの芋あらふを見るに、

芋洗ふ女西行ならば哥よまん

現代語訳

西行谷の麓に流れがある。女たちが芋を洗うのを見て、

芋洗ふ女西行ならば哥よまん

芋を洗う女たちよ。西行法師であれば、江口の遊女の話のように彼女たちに歌を詠みかけるのだろうなあ。

語句

◆西行谷…伊勢内宮(ないくう)の南方にある神路山の南にある谷。西行隠棲の地と伝えられる。◆「芋洗ふ~」…西行法師と江口の遊女の故事による。西行法師が難波の江口で宿をもとめて「世の中をいとふまでこそ難からめ仮のやどりを惜しむ君かな」と詠んだのに遊女は「世をいとふ人とし聞けば仮の宿に心とむなと思ふばかりぞ」と返した(『西行撰集抄』)。


其日のかへさ、ある茶店に立寄けるに、てふと伝けるをんな、「あが名に発句せよ」と伝て、白ききぬ出しけるに、書付侍る。

蘭の香や蝶の翅にたき物す

閑人の茅舎をとひて

蔦植て竹四五本のあらし哉

現代語訳

その日の帰り際、ある茶店に立ち寄ったところ、蝶という名の女が、「私の名前で発句を作ってください」と言って白い布を差し出したので、その布に書き付けた。

蘭の香や蝶の翅にたき物す

蘭にとまっている蝶の羽はよい香りがして、まるで蘭の香を焚き染めたようだ。

閑居する人の庵を訪ねて、

蔦植て竹四五本のあらし哉

蔦を植えて、四五本の竹を植えて、それらを風がざわざわと吹きさわがしている、味わい深い庵の景色だよ。

語句

◆かへさ…帰り際。 ◆「蘭の香や~」…季語は「蘭」で秋。 ◆閑人の茅舎…閑居する人の庵。 ◆「蔦植て~」…季語は「蔦」で秋。


野ざらし紀行 地図1

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解説:左大臣光永