吉野・高野・和歌

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桜がりきどくや日々に五里六里

日は花に暮てさびしやあすならふ

扇にて酒くむかげやちる桜

苔清水

春雨のこしたにつたふ清水哉

現代語訳

桜がりきどくや日々に五里六里

毎日毎日、桜を見るために五里六里と歩き回る。我ながらご苦労なことだ。

日は花に暮てさびしやあすならふ

花見に走り回った一日が暮れていく。桜の花のわきにひっそりと生えているあすなろの木が寂しげだ。明日はなろう。明日こそヒノキになろうと願いつつ、けしてヒノキにはなれない。その名の通りの哀れさがあらわれている。

扇にて酒くむかげやちる桜

ひらひらと散る桜の花びらが惜しまれて、思わず扇をさしだして、受け止めてしまった。このしぐさはまるで、能・狂言で酒を汲むしぐさではないか。山道でこんなことをやっているのは我ながら酔狂なことだ。

苔清水

春雨のこしたにつたふ清水哉

春雨が降っている木の下につたい落ちる清水だよ。


吉野

語句

◆「日は花に~」…「あすならう」はヒノキ科の常緑色。 ◆「扇にて~」…能・狂言では扇を平らにして酒を汲むしぐさをする。 ◆苔清水…吉野山西行庵のそばにある「とくとくの清水」。伝西行歌に「とくとくと落つる岩間の苔清水汲みほすほどもなき住居かな」


よしのゝ花に三日とゞまりて、曙、黄昏のけしきにむかひ、有明の月の哀なるさまなど、心にせまり胸にみちて、あるは摂政公のながめにうばゝれ、西行の枝折にまよひ、かの貞室が「是はゝ」と打なぐりたるに、われいはん言葉もなくていたづらに口をとぢたるいと口をし。おもひ立たる風流いかめしく侍れども、爰に至りて無興の事なり。

現代語訳

花の盛りの吉野に三日滞在して、曙、黄昏の景色に向かい、有明の月の哀れなありさまなど、心に迫り胸に満ちてある時は摂政公(後京極摂政)が「誰が昔桜の種を植えて吉野を桜の名所にしたのだろうか」と詠じた、その桜の景色に心奪われ、西行が「去年の枝折の道かへて」と詠んだように、あちらこちらに心引かれて歩きまわり、かの安原貞室が「これはこれはとばかりに花の吉野山」と即興で詠み捨てた句を思い出すにつけても、私には言う言葉もなくていたずらに口を閉じて一句もできないのが口惜しい。最初は吉野でいい句を詠んでやるぞといきり立っていたが、それだけに一句も詠めないのは興ざめなことだ。

語句

◆摂政公…後京極摂政藤原良経(1169-1206)。平安時代末期~鎌倉時代初期の公卿・歌人。「昔たれかかる桜の種うゑて吉野を花の山となしけむ」(新勅撰・春上)による。ほかに後京極摂政の歌では百人一首「きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む」が有名。 ◆西行の枝折…「吉野山こぞの枝折の道かへてまだ見ぬ方の花をたづねむ」(新古今・春上)。 ◆「是はゝ」…松永貞徳の門人安原貞室「これはこれはとばかりに花の吉野山」 ◆打なぐる…即興で詠み捨てた。 ◆いかめしく…物々しく。


高野

ちゝはゝのしきりにこひし雉の声

ちる花にたぶさはづかし奥の院 万菊

和歌

行春にわかの浦にて追付たり

きみ井寺(本文不備)

現代語訳

ちゝはゝのしきりにこひし雉の声

高野山の奥で雉の声を聞くと、父母がしきりに恋しい。山鳥のほろほろ鳴くのを聞いても父か母かと思った行基上人の気持ちも、身に染みて実感する。

ちる花にたぶさはづかし奥の院 万菊

ここ高野山で散る花を見ていると場所柄もあってかいよいよ無常が感じられ、もとどりを結って俗人の姿でいるのが恥ずかしくなるくらいだ。

和歌

行春にわかの浦にて追付たり

吉野・高野と春の情緒を追い続けてきたが、ようやくここ和歌の浦で晩春の情緒をしみじみ味わうことができた。

紀三井寺 (本文不備)

語句

◆高野…和歌山県伊都郡高野町にある古義真言宗総本山金剛峯寺。 ◆「ちゝちはゝの~」…行基が高野山で詠んだと伝わる「山鳥のほろほろと鳴く声きけば父かとぞ思ふ母かとぞ思ふ」 ◆「ちる花に~」…「たぶさ」はもとどり。 

◆和歌…和歌の浦。和歌山市南方の海岸で、万葉集以来の歌枕。西行が雨を降り止ませた逸話でも知られる。◆きみ井寺…紀三井寺。和歌浦の東岸金剛宝寺護国院。タイトルだけで内容が無いのは、あとで書こうと思って忘れてしまったのか。本文不備。


高野山・和歌浦

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解説:左大臣光永

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