新大仏寺・伊勢

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伊賀国阿波の庄といふ所に俊乗上人の旧跡有。護峰山新大仏寺とかや伝。名ばかりは千歳の形見となりて、伽藍は破れて礎を残し、坊舎は絶て田畑と名の替り、丈六の尊像は苔の緑に埋て、御ぐしのみ現前とおがまれさせ給ふに、聖人の御影はいまだ全おはしまし侍るぞ、其代の名残うたがふ所なく泪こぼるゝ計也。石の蓮台・獅子の座などは蓬・葎の上に堆ク、双林の枯たる跡もまのあたりにこそ覚えられけれ。

丈六にかげろふ高し石の上

さまゞの事おもひ出す桜哉

現代語訳

伊賀国阿波の庄という所に俊乗上人の旧跡がある。護峰山新大仏寺とか言うのだ。名ばかりは千年もの形見となって、伽藍は崩れてしまって礎石のみが残り、坊舎の建物は無くなって田畑と名がかわり、一条六尺の大仏は苔の緑の下に埋ずもれて、その御頭の部分だけが姿を見せて人々が手をあわせているのだが、上人の御影はいまだに完全な形で残っていらっしゃり、生前の御姿がしのばれ涙がこぼれるばかりだ。

大仏の下の石の蓮華台・それを乗せる獅子の座などは蓬やつる草の上にうずたかく、釈迦入滅の際に四方に植えてあった沙羅双樹が一瞬で枯れて真っ白になった故事を目の前にしているように思われる。

丈六にかげろふ高し石の上

一丈六尺の大仏があった石の上に、陽炎が高く立っている。かつてそこにそびえていたであろう大仏のありがたい御姿がしのばれる。

さまゞの事おもひ出す桜哉

昔参上したことのあるこのお屋敷に、20年前とかわらぬ姿で桜が咲いております。旧主蝉吟のこと。俳諧の道に心開かれた若き日のこと。桜を見ているとさまざまなことが思い出されます。

語句

◆阿波…三重県阿山郡大山田村。伊賀上野の東方。 ◆俊乗上人…俊乗房重源(1121-1206)。平重衡によって焼き討ちされた東大寺の再興に尽くした。東大寺再興のため西行法師に奥州藤原氏への砂金勧進を依頼した。七箇所の不断道場を開いた。新大仏寺はその一。 ◆護峰山新大仏寺…三重県伊賀市富永。建仁2年(1202年)建立。源頼朝の創設といわれる。 ◆伽藍は破れて礎を残し…十一の堂宇があったが、寛永12年(1635年)の大雨と土砂崩れで大破埋没した。 ◆丈六の尊像…一丈六尺の大仏。 ◆御ぐし…お頭。 ◆蓮台…大仏を乗せる蓮華台。 ◆獅子の座…蓮華台を載せる石の台座で獅子の図が刻んである。 ◆双林…釈迦入滅の際、四方に植えてあった沙羅双樹の樹が一瞬で枯れて真っ白になった故事に基づく。 ◆「さま??まの~」…芭蕉の旧主、藤堂良忠の子、良長(俳号探丸)の下屋敷(別邸)に招かれての句。旧主良忠(俳号 蝉吟)は芭蕉より2歳年上で親しく交わったが、25歳で亡くなり、芭蕉が武士になる道は絶たれた。良忠の死が、芭蕉が俳諧の道を志す直接の原因となったともいえる。そして良忠の遺子良長は9歳で藤堂新七郎の家督を継ぎ、この年23歳。桜を見てい 驍ニ、そういうさまざまなことを思い出して、運命の不思議を感じ、感慨がこみ上げるのである。


伊勢山田

何の木の花とはしらず匂哉

裸にはまだ衣更着(きさらぎ)の嵐哉

菩提山

此山のかなしさ告よ野老堀(ところほり)

現代語訳

伊勢山田

何の木の花とはしらず匂哉

何の木の花の香りか知らないが、神聖な場所にふさわしく、いかにも厳かに匂いたっていることよ。

裸にはまだ衣更着(きさらぎ)の嵐哉

その昔、増賀上人はここ伊勢の地で名利を捨てよと神様からお告げを蒙って、衣類をすべて乞食に与えて裸で下山したという。私はまさか裸になるまではできそうもない。まだ二月で寒い風が吹き付けていることだし。私はもう少し衣を重ね着していたいなどと思っている俗人なのだ。

菩提山

此山のかなしさ告よ野老堀(ところほり)

かつては栄えていたこの山寺だが、往時の面影も無く荒れ果てている。ところ堀をする人々よ。この山寺にどれほど悲しいのか、その物語を、私に聞かせてくれ。


伊勢山田へ

語句

◆伊勢山田…伊勢神宮外宮・豊受大神宮がある。 ◆「何の木の~」…伝西行「何事のおはしますかは知らねどもかたじけなさに涙こぼるる)を踏まえる。 ◆「裸には…」平安中期の天台宗の僧、増賀上人(ぞうがしょうにん)の故事に基づく。増賀上人が伊勢に参詣した時、名利を捨てよとの神の言葉を賜ったので衣類をすべて乞食に与えて裸で下ったという。「きさらぎ」に二月の月名の「如月」と「衣をさらに重ね着る」の意味の「衣更着」を掛ける。 ◆菩提山…菩提山神宮寺。天平年間行基による開山と伝えられるが芭蕉の時代はすでに荒廃していた。 ◆「此山の~」…「野老(ところ)」は山芋に似たつる草。根を食用にする。季語は「野老掘る」で春。


龍尚舎

物の名を先とふ蘆のわか葉哉

網代民部雪堂に会

梅の木に猶やどり木や梅の花

草庵の会

いも植て門は葎のわか葉哉

現代語訳

龍尚舎を訪ねて、

物の名を先とふ蘆のわか葉哉

「難波の蘆は伊勢の浜萩」というくらい、所によって物の名も変わるそうですから、このわか葉の名前が何というのか、博学なあなたにご質問しましょう。

網代民部雪堂に会って、

梅の木に猶やどり木や梅の花

梅の木にさらに宿り木が継がれて見事に花開かせている。そのように、あなたも父上から風雅の気質を受け継いで、見事に花開かせていますね。

草庵の会

いも植て門は葎のわか葉哉

畑に芋を植えて、門のところにはつる草が若葉してはいからまっている。わびしい草の庵の様子だよ。

語句

◆龍尚舎…人物をさす。龍野伝右衛門照近。尚舎は号。伊勢神宮外宮の神官で和学者として有名。 ◆「物の名を~」…「草の名は所によりて変るなり/なにはの蘆は伊勢の浜荻 救済法師」(『菟玖波集』) ◆網代民部雪堂…足代民部弘員。俳人。「雪堂」は号。父弘氏は神風館一世と称する俳人(すでに故人となっている)。雪堂は神風館二世。 ◆梅の木にさらに宿り木が継いで見事な花を咲かせている。それを父弘氏から風雅の気質をひきついだ雪堂になぞらえている。父弘氏は談林派の俳人であったことも梅と関係している。談林派の総帥西山宗因は梅翁と名乗っていた。 ◆草庵の会…伊勢の大江寺境内にあった二条軒。隣は玉泉寺で藪が迫っていた。


神垣のうちに梅一木もなし。いかに故有事にやと神司などに尋侍れば、只何とはなし、をのづから梅一もともなくて、子良の館の後に一もと侍るよしをかたりつたふ。

御子良子の一もとゆかし梅の花

神垣やおもひもかけずねはんぞう

現代語訳

神社の垣根の内側には梅が一本も無い。どんなわけがあってのことかと神官などにきいてみたが、別段のことでもありません。もともと梅は一本も無いのです。ただ、子良の館の後に一本だけありますと教えてくれた。

御子良子の一もとゆかし梅の花

身を清めて伊勢神宮にお仕えする少女の詰め所のところに一本だけ梅の木がある。なんとも心惹かれることだ。

神垣やおもひもかけずねはんぞう

ひたすら仏事を忌み嫌う神域だが、二月十五日涅槃会ということもあり、神垣の中で思いもかけず釈迦入滅の涅槃像を目にしたことよ。

語句

◆神司…神官。 ◆子良の館…こらのたち。「子良」は「物忌みの子ら」の略。「御子良子」も同じ。身を清めて伊勢神宮に仕える少女。「館」はその詰所。外宮にも内宮にもあったという。 ◆「神垣や~」…「ねはんぞう」は「涅槃像」。釈迦入滅の図。二月十五日の涅槃会(ねはんえ)に掲げてあったものか。

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解説:左大臣光永

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