伊良古崎・熱田

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保美村より伊良古崎へ壱里斗も有べし。三河の国の地つゞきにて、伊勢とは海へだてたる所なれども、いかなる故にか『万葉集』には伊勢の名所の内に撰入られたり。この洲崎にて碁石を拾ふ。世にいらご白といふとかや。骨山と伝は鷹を打処なり。南の海のはてにて、鷹のはじめて渡る所といへり。いらご鷹など哥にもよめりけりとおもへば、猶あはれなる折ふし、

鷹一つ見付てうれしいらご崎


伊良古崎

現代語訳

保美村から伊良古崎までは一里ほどもあるだろうか。三河の国から地続きで、伊勢とは海をへだてているが、どういうわけだろうか、『万葉集』には伊勢の名所にうちに選び入れられている。この岬で碁石を拾う。世にいらご白といわれるものだろうか。骨山という丘は鷹を捕るところだ。南の海の果てで、鷹が日本に渡ってきてはじめて上陸する所という。いらご鷹など哥にも詠まれていたなあと思えば、いっそう趣深く思うその時、

鷹一つ見付てうれしいらご崎

ここ伊良古崎に鷹が一羽飛んでいるのを見つけた。万葉の昔の情緒もしのばれ、嬉しくなってしまう。

語句

◆伊良古崎…渥美半島西端の伊良湖(いらご)岬。『万葉集』巻一には「伊勢の国の伊良虞の島」と呼ばれている。志摩半島から見ると島に見えるからか。島崎藤村の詩「椰子の実」でも有名。 ◆洲崎…岬。 ◆いらご白…伊良湖岬の浜でとれる貝の殻を割って白の碁石を作る。伊良湖崎の名産であった。『毛吹草』に「伊羅期の碁石貝」とある。 ◆骨山…こつやま。伊良湖岬の丘陵。現在こやまという。 ◆いらご鷹…「巣鷹渡る伊良湖が崎を疑ひてなを木に帰る山帰りかな」(『山家集』)、「ひき据ゑよいらごの鷹の山がへりまだ日は高しこゝろそらなり」(『壬ニ集』)。


熱田御修復

磨なをす鏡も清し雪の花

蓬左の人々にむかひとられてしばらく休息する程、

箱根こす人も有らし今朝の雪

現代語訳

熱田神宮は修復中だった。

磨なをす鏡も清し雪の花

熱田神宮の社殿はきれいに整えられ、磨ぎなおした鏡もさらに清らかに、折から花のような雪がふりしきる。

名古屋の人々に迎えられてしばらく休息していた時、

箱根こす人も有らし今朝の雪

今朝の雪はたいへんな降り方だが、こんな雪の中、箱根越えをしている人もいるのだろうなあ。一方私はあたたかな土地の人の歓迎を受けている。ありがたいことだ。

語句

◆熱田御修復…熱田神宮の修造。『野ざらし紀行』の旅のときは熱田神宮は荒れ果てていた。 ◆蓬左の人々…「蓬」は蓬莱宮で熱田神宮のこと。「左」は「西」で西方一帯。熱田神宮西方。名古屋一帯。 ◆「箱根こす~」…十二月四日熱田聴雪亭での歌仙の発句。


有人の会

ためつけて雪見にまかるかみこ哉

いざ行む雪見にころぶ所まで

ある人興行

香を探る梅に蔵見る軒端哉

此間美濃・大垣・岐阜のすきものとぶらひ来りて、歌仙あるは一折など度々に及。

現代語訳

ある人の会で、

ためつけて雪見にまかるかみこ哉

紙子の皺をきちんとのばして、ちゃんとした装いになってから、雪見に出ていきましょう。

いざ行む雪見にころぶ所まで

さあ雪見に行きましょう。どこまでも遠くへ。転んで動けなくなってしまうまで。

ある人が俳諧の興行をした。その席で、

香を探る梅に蔵見る軒端哉

梅の香りをさがして庭をぶらぶら歩いていると、蔵の軒端に梅が咲いているのを見つけたよ。

この間、美濃・大垣・岐阜の風流を愛する同好の士たちが訪ねてきて、俳諧の席をもうけ、歌仙をしたりまたは半歌仙をしたり数度に及んだ。

語句

◆有人…或人。十一月二十八日名古屋昌碧亭にて。 ◆「ためつけて~」…「ためつける」は紙子の皺をのばすこと。 ◆ある人興行…防川(ぼうせん)亭にて。「興行」は連句の会を催すこと。 ◆歌仙あるは一折…「歌仙」は三十六句をつづけて詠むもの。懐紙二枚に記録する。一折は懐紙一枚に記録するもので「半歌仙」ともいう。「百韻」は百句続けて詠むもの。

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解説:左大臣光永

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