旅立ち・行徳

らくの貞室、須磨のうらの月見にゆきて「松陰や月は三五や中納言」といひけむ、狂夫のむかしもなつかしきまゝに、このあきかしまの山の月見んとおもひたつ事あり。ともなふ人ふたり、浪客の士ひとり、ひとりは水雲の僧。僧はからすのごとくなる墨のころもに、三衣の袋をえりにうちかけ、出山の尊像をづしにあがめ入テうしろに背負、【手偏+主】杖ひきならして、無門の関もさはるものなく、あめつちに独歩していでぬ。

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現代語訳

京都の俳諧師安原貞室が須磨の浦の月を見に行って「松の梢に十五夜の月が出ている。ここ須磨に流された中納言行平も、これと同じ月を見たのかなあ」と言った、風流に没頭した人の昔がなつかしさにまかせて、この秋(貞享3年(1687年)8月)、鹿島神宮の月を見ようと思い立った。旅に伴う人が二人ある。浪人一人。もう一人は行脚の禅僧である。この僧は烏のように真っ黒な墨染めの衣に、頭陀袋をえりにかけ、釈迦が山を出た時の像を箱にありがたく入れて後ろに背負い、禅僧の持つ杖をひきならして、悟りに至る門は無くても悟りに至る路は無数にあり、その途中の関所も問題ないと、天であろうと地であろうと、独り歩いて出発するのだ。

語句

◆らくの貞室…京都の貞門派俳諧師、安原貞室(1610~1673)。名は安原正章(まさあきら)。松永貞徳の弟子。貞門派では松江重頼と双璧をなす。『おくのほそ道』「山中」でも言及されている。  ◆須磨のうら…古来、光源氏や在原行平が流されたことで知られる寂しい場所。 ◆「松陰や~」…正しくは「松にすめ月も三五夜中納言 貞室」(『玉海集』)。「松陰や」となっているのは芭蕉の記憶違いか?「三五夜」は三かける五で十五夜のこと。白楽天の詩に「三五夜中新月の色」とある。「中納言」は須磨に流された在原行平。「中」に「夜中」の「中」と「中納言」の「中」を掛ける。 ◆狂夫…風狂の人。とことん風流に没頭する人。 ◆この秋…貞享4年(1687年)8月。前回『野ざらし紀行」の旅から3年後。 ◆鹿島の山…茨城県鹿島郡鹿島神宮。 ◆浪客…ろうかく。浪人。浮浪する人。河合曾良のこと。 ◆水雲…雲水。行脚の僧。深川芭蕉庵近くに住む禅僧宗波(そうは)。 ◆三衣の袋…「三衣(さんえ)」は僧侶が着る「大衣」「七条」「五条」の袈裟。「三衣の袋」はそれらを入れる袋。また衣に限らず物入れ袋。頭陀袋。 ◆出山の尊像…釈迦が道を悟って山を出た時の尊像。 ◆づし…厨子。仏像を入れる箱。扉が観音開きになっていてで、仏像を拝める。 ◆【手偏+主】杖…行脚の杖。主に禅僧が携える杖を言う。 ◆無門の関…宋代の禅僧慧開(えかい)の頌に「大道無門、千差路有り、此の関を透り得ば、乾坤に独歩せん」(大いなる道、悟りに至る門は無いが、そこに至る路は無数にある。この路の関を通り越せれば、天も地も独りで歩いていける。


いまひとりは、僧にもあらず、俗にもあらず、鳥鼠の間に名をかうぶりの、とりなきしまにもわたりぬべく、門よりふねにのりて、行徳といふところにいたる。ふねをあがれば、馬にものらず、ほそはぎのちからをためさんと、かちよりぞゆく。

現代語訳

さてもう一人である私は、僧でもなく、俗人でもなく、ちょうど鳥でもなく鼠でもない、蝙蝠のように中途半端な姿であるが、「鳥なき島の蝙蝠」の諺通り、鳥…すぐれた人物のいない島にわたって蝙蝠…つまらない者が幅をきかせるべく、深川の庵の門前から船に乗って(小名木川に漕ぎ出し)、行徳という所に至った。舟をあがると、馬にも乗らず、細い脛の力をためそうと歩いていくことにした。

語句

◆いまひとり…芭蕉自身のこと。 ◆鳥鼠の間に名をかうぶりの…蝙蝠は鳥でもなく鼠でもなく中途半端な生き物と見られていた。僧でもなく俗人でもなく中途半端な自分の姿を重ねる。「かうぶり」に「蝙蝠」を掛ける。 ◆とりなきしま…「鳥なき島の蝙蝠」という諺による。鳥(すぐれた人)のいない場所で蝙蝠(つまらない者)が幅をきかすたとえ。また「鹿島」という地名の「島」も掛けている。島崎藤村の詩に「鳥なき島」がある。 ◆門…深川の芭蕉庵門前。芭蕉は門前から船に乗り、小名木川を東へ、江戸川を横切って千葉方面に向かった。

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解説:左大臣光永