方丈記 全章徹底解読 音声つき  | 日野山の奥

日野山の奥

原文

今、日野山の奥に跡を隠して後、東に三尺余りの庇をさして、柴折りくぶるよすがとす。南、竹の簀子を敷き、その西に閼伽棚をつくり、北によせて障子をへだてて阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢をかき、前に法華経を置けり。東のきはに蕨のほどろを敷きて、夜の床とす。西南(ひつじさる)に竹の吊棚を構へて、黒き皮籠(かわご)三合を置けり。すなはち和歌、管弦、往生要集ごときの抄物(しょうもつ)を入れたり。かたはらに琴、琵琶おのおの一張(ちょう)を立つ。いはゆる折琴、継琵琶これなり。仮の庵のありやうかくのごとし。

その所のさまをいはば、南に懸樋(かけい)あり、岩を立てて水をためたり。林の木近ければ、爪木をひろふに乏しからず。名を音羽山(おとはやま)といふ。まさきのかづら跡埋めり。谷しげけれど西晴れたり。観念のたよりなきにしもあらず。

春は藤波を見る。紫雲のごとくして西方ににほふ。夏は郭公を聞く。語らふごとに死出の山路を契る。秋はひぐらしの声耳に満てり。うつせみの世をかなしむほど聞ゆ。冬は雪をあはれぶ。積り消ゆるさま、罪障にたとへつべし。もし念仏ものうく、読経まめならぬ時は、みづから休み、みづからおこたる。さまたぐる人もなく、また、恥づべき人もなし。ことさらに無言をせざれども、独りをれば口業(くごう)を修めつべし。必ず禁戒を守るとしもなくとも、境界(きょうがい)なければ何につけてか、破らん。

もし跡の白波にこの身を寄する朝には、岡の屋に行き交ふ船をながめて満沙弥が風情をぬすみ、もし桂の風葉を鳴らす夕には、尋陽の江を思ひやりて源都督のおこなひをならふ。もし余興あれば、しばしば松のひびきに秋風楽をたぐへ、水の音に流泉の曲をあやつる。芸はこれつたなけれども、人の耳をよろこばしめむとにはあらず。ひとり調べ、ひとり詠じて、みづから情(こころ)をやしなふばかりなり。

語句

■日野山の奥 京都府京都市伏見区日野船尾町。日野に法界寺を建てた如蓮房禅寂のあっせんで、長明は大原から日野の外山に移ってきた。■柴折りくぶるよすが 庇の下で柴を折って火にくべる時、雨がかからないようにすること。 ■閼伽棚 閼伽は梵語で供養。仏前に備える水や花を置く棚。 ■蕨のほどろ 春のわらびの穂が伸びすぎたもの。 ■三合 籠や箱を数える単位。 ■すなはち 「そこに」の意味か? ■抄物 しょうもつ。漢文の本などの抜粋やまとめたもの。 ■折琴 折りたためる琴。 ■継琵琶 柄が取り外せる琵琶。

■爪木 薪にする木の小枝。 ■音羽山 京都府京都市山科区と滋賀県大津市の境界に所在する山。 ■まさきのかづら 真拆。つるまきの類。「み山には霰降るらし外山なる真拆の葛色づきにけり」(古今・神遊びの歌) ■しげし 草などが茂っている。多い。■観念のたより ひたすら仏を思い極楽往生を願う気持ちが起こるきっかけ。

■死出の山路 ほととぎすを「死出の田長(たおさ)」といい、冥途への案内人と見る。 ■罪障 往生の妨げとなる悪い行い。 ■読経まめならぬ時 まめまめしく読経する気が起きない時。 ■口業 身業(しんごう)・口業(くごう)・意業(いごう)を三業(さんごう)という。人間がなすことすべて。 ■境界 境遇。環境。

■跡の白波 「世の中をなににたとへむ朝ぼらけこぎゆく舟のあとのしら浪」(沙弥満誓・拾遺集・哀傷)による。 ■岡の屋 京都の宇治川の東岸。 ■満沙弥 沙弥満誓。万葉歌人。俗名、笠朝臣麻呂(かさのあそみまろ)。美濃守として木曽路の開通に努力。養老5年(721)年元正天皇の病気平癒を願って出家。筑紫観世音寺別当して大宰府に下る。太宰師大伴旅人らと交流があり、いわゆる「筑紫歌壇」を形成した。 ■尋陽の江 白楽天の「琵琶行」の「尋陽江頭夜客を送る、楓葉荻花秋瑟」をふまえる。 ■源都督 源経信(1016-1097)。宇多源氏の出。詩歌管弦漢詩すべてにすぐれた貴公子であり藤原公任と並び賞された。有職故実にも詳しかった。最終官位は正二位大納言。桂の里に別荘があったので桂大納言とも言われた。晩年は大宰権師(だざいのごんのそち)として大宰府で没した。源俊頼の父。俊恵の祖父。家が桂の里にあったので「桂の大納言」とよばれた。百人一首に「夕されば門田の稲葉おとづれて蘆のまろやに秋風ぞ吹く」。 ■秋風楽 雅楽の琴の曲名。 ■流水 琵琶の秘曲。『今昔物語』に源博雅が、逢坂の関の盲人、蝉丸が琵琶の弾くのを立ち聴いて三年目に流水・啄木の秘曲を聴きえたという話が伝わる。この部分は長明がみずからを蝉丸になぞらえているのかもしれない。長明の『無名抄』の「関明神の事」にも蝉丸のことが書かれている。

現代語訳

今、日野山の奥に跡を隠してからというもの、東に三尺余りの庇をさして、軒端で柴を折って火にくべる時、雨に濡れないようにした。

南には竹の簀子をしき、その西に閼伽棚を作り、北に寄せて障子をへだてて阿弥陀の絵像を安置し、そばに普賢菩薩像を描き、前に法華経を置いた。

東の半分は蕨の穂が伸びすぎたものを敷いて、夜の床とする。西南に竹の吊棚を構えて、黒い皮の籠三合を置いた。

そこには和歌、管弦、往生要集などを要約したりまとめた書物(抄物)を入れた。傍らには琴と琵琶をそれぞれ一張立てる。いわゆる折琴、継琵琶である。仮の庵のありようは、こんなふうであった。

その所の様子を言えば、南に懸樋があり、岩を立てて水をためている。林の木が近いので、薪にする小枝をひろうのに苦労しない。名を音羽山という。まさきのかづら(つるまきの類)が生い茂っている。谷はあちこちに多いが、西の方角は晴れている。ひたすら極楽往生を願う殊勝な気持ちが起こる、きっかけともならないとも限らない。

春は藤波を見る。紫の雲のように西方に色づく。夏はほととぎすを聞くほととぎすは「死出の田長」といってあの世への道案内をするといわれるが、私はほととぎすと語らうたびに、私が死出の山路を行くことになったらよろしくとお願いするのだ。

秋はひぐらしの声が耳に満ちる。はかない空蝉のような世を悲しむように聞こえる。冬は雪をあはれむ。積もっては消えていくさまは、往生のさまたげとなる人間の罪にたとえることができる。

もし念仏するのが面倒で、読経をまめまめしく行う気が起きない時は、自分から休み自分からさぼる。邪魔する人もなく、また、恥じるべき人もいない。

ことさらに喋らないよう注意しなくても、独りでいれば、どうして余計なことを言って罪つくりをすることがあろうか。必ず禁戒の規律を守ろうとしなくても、その環境がなければ、どうやって破るだろうか。

もし、跡の白波と歌に詠まれたようにはかない世の中に身を寄せていることを思い出すような朝には、宇治川東岸の岡の屋に行き交う船をながめて沙弥満誓の歌を思い出し、もし桂に吹く風が葉を鳴ら夕べには、白楽天の「琵琶行」の出だし「尋陽江頭夜客を送る」を思いやり、大宰府で亡くなった桂大納言源経信の行いと自らをなぞえらてみる。

もし余興あれば、しばしば松の葉の響きに雅楽の「秋風楽」を弾き、水の音に琵琶の秘曲「流水」を弾き鳴らす。芸はつたないものだが、人の耳をよろこばせるために弾いているのでもない。ひとり調べ、ひとり詠じて、みづから心をやしなうばかりである。

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