幻住庵記

先づ頼む椎の木も有り夏木立

元禄3年(1690)年、『おくのほそ道』の旅を終えた芭蕉は、大津義仲寺に滞在していましたが、同年7月、膳所藩主・菅沼曲水の招きで大津岩間山(いわまやま)山中の庵「幻住庵(げんじゅうあん)」を訪れ、四か月滞在しました。

『幻住庵記(げんじゅうあんのき)』は、この幻住庵での生活を描いた作品です。『おくのほそ道』の長い旅を終えた後であり、張り詰めた緊張が解けて、ゆったり落ち着いた感じが出ています。琵琶湖から吹くさわやかな風が感じられる作品です。

当サイトでは『幻住庵記』すべての章・すべての句の原文・訳・詳しい語句解釈に加え、主要な場面は朗読とともにお楽しみいただけます。文字と音によって、よりいっそう『幻住庵記』を立体的に感じていただけます。

石山の奥、岩間のうしろに山あり、国分山といふ。そのかみ国分寺の名を伝ふなるべし。ふもとに細き流れを渡りて、翠微に登ること三曲(さんきょく)二百歩にして、八幡宮たたせたまふ。神体は彌陀(みだ)の尊像とかや。唯一の家には甚だ忌むなることを、両部(りょうぶ)光をやはらげ、利益(りやく)の塵を同じうしたまふも、また尊し。日ごろは人の詣でざりければ、いとど神さび、もの静かなるかたはらに、住み捨てし草の戸あり。蓬根笹(ねざさ)軒をかこみ、屋根もり壁おちて、狐狸(こり)ふしどを得たり。幻住庵といふ。あるじの僧なにがしは、勇士菅沼氏曲水子の伯父になんはべりしを、今は八年(やとせ)ばかり昔になりて、まさに幻住老人の名をのみ残せり。

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現代語訳

石山の奥、岩間の後ろに山があり、国分山という。昔の国分寺の名を今に伝えているということだ。

ふもとに流れる細い川を渡って、山の中腹にのぼっていき、曲がりくねった長い道を登っていくと、八幡宮がある。

ご神体は阿弥陀仏の尊像だとか。神仏混淆を認めない神道の宗派からみれば、たいへんけしからんことなのだが、神も仏もその光をやわらげ世俗の塵にまみれることで、かえって衆生を救済しようとされている。たいへん尊いことだ。

日ごろは人が参詣しないので、さびれた感じがかえって神々しく、もの静かである場所の傍らに、住み捨てられた草の庵がある。

蓬・根笹が軒を囲み、屋根を盛って壁は崩れ落ちて、狐や狸にとっては寝床を得たようなものだ。庵の名を幻住庵という。

あるじの僧某は、菅沼曲水という清廉な膳所藩士の伯父にあたる人物であるが、今は他界して八年ほどになり、まさに幻のうちに住む老人というべき名のみを残している。

語句

■幻住庵 膳所藩士菅沼曲水の叔父定知が建てた草庵。芭蕉は元禄3年(1690年)4月6日から7月23日まで4カ月ほど、幻住庵に過ごした。■国分山 現大津市の低い山。伽藍山の西。石山寺の近く。京阪石山寺駅から移動。 ■国分寺 聖武天皇が全国に設置した国分寺。 ■翠微 山の中腹。八合目あたり。 ■三曲二百歩 道がまがりくねって、長い様子。 ■唯一の家には甚だ忌むなること 「唯一の家」は神仏混淆を認めない神道の宗派。八幡宮(神道)と阿弥陀仏(仏教)を祀ってあるので、神仏混淆を認めない立場からはけしからん、の意。 ■両部 両部神道=神仏混淆。 ■利益の塵を同じうしたまう 「和光同塵」光を和らげ塵に同ず(『老子』)。仏や菩薩がその高い境地を離れ、世俗の塵にまじわることで、かえって衆生救済を行うこと。 ■神さび さびれた感じが、いっそう神聖な感じがする。 ■勇士菅沼氏曲水 1659-1717。菅沼外記定常。膳所藩士。曲水は俳号。近江蕉門の重鎮。江戸滞在中に芭蕉門下となる。「勇士」は清廉な人柄をいう。芭蕉に叔父定知の建てた幻住庵を住みかとして提供する。晩年膳所藩の奸臣曽我権太夫をを斬って自害。墓は義仲寺にある。 ■あ驍カの僧なにがし 菅沼曲水の伯父、定知。■八年ばかり昔になりて 他界して8年が経つ。


予また市中を去ること十年(ととせ)ばかりにして、五十年(いそぢ)やや近き身は、蓑虫の蓑を失ひ、蝸牛(かたつぶり)家を離れて、奥羽象潟(きさがた)の暑き日に面(おもて)をこがし、高砂子(たかすなご)歩み苦しき北海の荒磯にきびすを破りて、今年湖水の波にただよふ。鳰の浮巣の流れとどまるべき葦の一本(ひともと)のかげたのもしく、軒端ふきあらため、垣根ゆひそへなどして、卯月の初めいとかりそめに入りし山の、やがて出でじとさへ思ひそみぬ。

現代語訳

私はまた、江戸日本橋を去ってから10年ほど経ったころ、五十歳近い年齢になって、蓑虫が蓑を失い蝸牛が家を離れる境地で、奥羽象潟の暑き日に顔をこがし、深い砂地で歩行も困難な北海の荒磯にかかとを破り、今年は琵琶湖の波にただよっている。

私にとってこの幻住庵はカイツブリが浮巣をこしらえるのに一本の葦の陰をみつけたように頼もしく思われ、軒端を葺きなおし、垣根を結びそえて、卯月のはじめ、ちょっとした気分で入った山であるが、もう二度と山を降りないとさえ思いはじめていた。

語句

■市中を去ること十年… 芭蕉は江戸に出てからほぼ10年目の延宝8年初冬、日本橋を去って深川に隠棲した。■奥羽象潟の暑き日に… 元禄2年の『おくのほそ道』の旅のこと。 ■高砂子 深い砂地。 ■北海の荒磯 北陸道の荒磯。これも『おくのほそ道』の旅のこと。 ■きびすを破り ■鳰の浮巣の流れ 琵琶湖は「鳰の海」とよばれていた。「鳰」はカイツブリ。 ■やがて出でじ 二度と(山を)出ない。西行「吉野山やがて出でじと思ふ身を花散りなばと人や待つらん」(私は二度と吉野山を出るまてという覚悟で山ごもりをしたのに、皆は花が散れば戻ってくるさなどと言っている)による。


さすがに春の名残も遠からず、つつじ咲き残り、山藤松にかかりて、時鳥(ほととぎす)しばしば過ぐるほど、宿かし鳥のたよりさへあるを、木啄(きつつき)のつつくともいはじなど、そぞろに興じて、魂、呉・楚東南に走り、身は瀟湘・洞庭に立つ。山は未申にそばだち、人家よきほどに隔たり、南薫(なんくん)峰よりおろし、北風湖(うみ)を浸して涼し。比叡(ひえ)の山、比良の高根より、辛崎の松は霞こめて、城あり、橋あり、釣たるる船あり、笠取に通ふ木樵(きこり)の声、ふもとの小田(おだ)に早苗とる歌、蛍飛びかふ夕闇の空に水鶏のたたく音、美景物として足らずといふことなし。中にも三上山は士峰(しほう)の俤に通ひて、武蔵野の古き住みかも思ひ出でられ、田上山(たなかみやま)に古人をかぞふ。

現代語訳

そうはいってもやはり、春の名残は遠くはなく、つつじが咲き残り、山藤が松にかかって、ホトトギスがしばしば飛びすぎるうちに、カケスの声まで聞こえてくるので、庵を啄木鳥につつかれるのも気にしないなどと、何となく楽しい気持で、魂は呉・楚東南にさけと杜甫の詩にある洞庭湖に走り、身は瀟水・湘水・洞庭湖のほとりに立っている。

山は西南の方角にそびえ、人家はちょうどいい具合に隔たっており、南風が峰から吹きおろし、北風が琵琶湖を浸して涼しい。比叡山、比良の高根から、辛崎の松は霞に包まれ、城あり、橋あり、釣り糸を垂れている船があり、笠取山に通う木こりの声、ふもとの田に早苗取る歌、蛍飛び交う夕闇の空にクイナの鳴き声、実に美しい景色ばかりで、一つとして欠けたところが無い。

中にも三上山は近江富士といわれるほどで富士山の俤に通うところがあり、武蔵野の古き住みかも思い出され、田上山に古人の墓を訪ねてまわる。

語句

■さすがに そうはいうものの。やはり。 ■宿かし鳥 カラス科の鳥「カケス」の別名。 ■たよりさへある 鳴き声まで聞こえてくる。 ■呉・楚東南 杜甫「登岳陽楼」の「呉楚東南にサけ」による。呉楚の東南の地方が裂けて洞庭湖になったというのを、琵琶湖と重ね合わせている。 ■瀟湘 中国湖南省。瀟水と湘水が洞庭湖に注ぐあたりの地方。 ■洞庭湖 漢詩によく出てくる中国湖南省北東部の湖。 ■未申 西南の方角。 ■南薫 南風。 ■辛崎の松 辛崎の一つ松。近江八景の一つ。「辛崎の松は花より朧にて」(芭蕉)。 ■笠取 宇治北東の笠取山。琵琶湖と宇治川の中間あたり。このあたりの文章は『方丈記』を意識的にふまえている。 ■城 膳所城。 ■橋 瀬田の唐橋。 ■水鶏のたたく音 「水鶏」はクイナ科の鳥。湿地や水田で見られる。その鳴き声が戸をたたく音に似ているので古来その鳴き声を「たたく」という。 ■三上山は士峰の俤に通ひて 三上山は近江富士といわれるほどで、おもかげが「士峰」富士山に通うものがある。 ■田上山 大津市南部。瀬田川東岸。田上から大石にかけてひろがる山々の総称。主峰は太神山(たなかみやま)。「湖南アルプス」としてハイキングコースとなっている。昔の歌人の墓が多い。

 

小竹生(ささほ)が嶽(たけ)・千丈が峰・袴腰といふ山あり。黒津の里はいと近う茂りて、「網代守(も)るにぞ」と詠みけん『万葉集』の姿なりけり。なほ眺望くまなからむと、うしろの峰に這ひ登り、松の棚作り、藁の円座(えんざ)を敷きて、猿の腰掛と名付く。かの海棠(かいどう)に巣を営(いとな)び、主簿峰(しゅぼほう)に庵を結べる王翁(おうをう)・徐栓(じょせん)が徒にはあらず。ただ睡癖(すいへき)山民と成って、孱顔(さんがん)に足を投げ出(い)だし、空山に虱をひねつて坐す。たまたま心まめなる時は、谷の清水を汲みてみづから炊ぐ。とくとくの雫(しずく)を侘びて、一炉(いちろ)の備へいとかろし。はた、昔住みけん人の、ことに心高く住みなしはべりて、たくみ置ける物ずきもなし。持仏一間を隔てて、夜の物納むべき所など、いささかしつらへり。

現代語訳

小竹生(ささほ)が嶽(たけ)・千丈が峰・袴腰などいう山がまわりにある。黒津の里はその名の通りたいへん黒々と草木が茂っていて、「田上の黒津の庄の痩男は網代を守っているからあんなにも肌の色が黒いことよ」と『万葉集』(正しくは『近江與地志略』)に詠まれている、その姿である。

もっと隅々まで景色を見てやろうと、後ろの峰に這い登り、松の枝に人が登って座れる棚を作り、ここに円座を敷いて、猿の腰掛と名づける。だが私は詩にいうところの、秋海棠に巣を営み、主簿峰に庵を結んだ王翁・徐栓の類ではない。

単に寝てばかりいる怠惰な田舎者となって、切り立った山の面に足を投げ出し、人気の無い山で虱をひねって座っている。

たまたま気が向いた時は、谷の清水を汲んで自炊する。かの西行法師の吉野のとくとくの清水のわび住まいを思い、台所のありようは、実に簡素なものだ。

また、以前住んでいた人(菅沼定知)が、たいそう心が高く住みなしていて、趣味的な造作は何もなく、一間隔てて仏間があり、寝具を納める所など、ちょっと作り設けてある。

語句

■小竹生が嶽 笹間が岳。田上山の南。幻住庵の東。 ■千丈が峰 幻住庵の西南。 ■袴腰 幻住庵の南。これらは幻住庵が見渡せる山々。 ■黒津の里 大津市田上。幻住庵の東南。 ■「網代守るにぞ」と詠みけん『万葉集』の姿 『万葉集』ではなく『近江與地志略』。「田上や黒津の庄の痩男あじろ守るとて色の黒さよ」「網代」は宇治川や瀬田川にしかけた魚を捕るためのしかけ。水中に杭を打ち込み、杭と杭の間に竹や木を張り、魚を捕った。 ■なほ眺望くまなからん もっと景色を隅々まで見よう ■松の棚作り、藁の円座を敷きて… 松の枝に人が座れる棚を作って、そこに藁の「円座」丸い座布団を敷いて、猿の腰掛と名づけた。 ■主簿峰 黄庭堅(黄山谷)の詩「徐老は海棠の巣の上、王翁は主簿峰(しゅぼほう)の庵」(「潜峰閣に題す」)による。「黄庭堅」は中国北宋の詩人。 ■睡癖山民 寝てばかりいる怠惰な田舎者。 ■孱顔 けわしい山の面。 ■空山 人気の無い山。 ■心まめなる時 気が向いた時。 ■とくとくの雫を侘びて 庵のそばにある「とくとくの清水」。吉野山の西行庵サばの「とくとくの清水」の侘びしい住居の境地を慕って。 ■炊ぐ 炊事をする。 ■昔住みけん人 菅沼曲水の伯父定知。 ■たくみ置ける物ずきもなし 手のこんだ趣向も無い。 ■持仏一間を隔てて 仏間は離れに一室ある。


さるを、筑紫高良山(こうらさん)の僧正は、賀茂の甲斐何某(なにがし)が厳子(げんし)にて、このたび洛にのぼりいまそかりけるを、ある人をして額を乞ふ。いとやすやすと筆を染めて、「幻住庵」の三字を送らる。やがて草庵の記念(かたみ)となしぬ。すべて、山居といひ、旅寝といひ、さる器(うつはもの)たくはふべくもなし。木曾の檜笠、越の菅蓑(すがみの)ばかり、枕の上の柱にかけたり。昼はまれまれ訪(とぶら)ふ人々に心を動かし、或(ある)は宮守の翁(おきな)、里の男(をのこ)ども入り来たりて、「猪の稲食ひ荒し、兎の豆畑(まめばた)に通ふ」など、わが聞き知らぬ農談、日すでに山の端(は)にかかれば、夜座(やざ)静かに、月を待ちては影を伴ひ、燈火(ともしび)を取りては罔両(もうりょう)に是非をこらす。

現代語訳

そうではあるのだが、筑紫高良山の僧正は、賀茂の神官甲斐某の実子であって、このたび京都に上がってきていらっしゃるのを、知人を通じて額を書いてほしいと依頼した。

たいそう快く引き受けてくれ、「幻住庵」の三文字を送ってくれた。すぐにこの額を草の庵の記念とした。

すべて、山のすまいといい、旅寝といい、立派な器など持つ必要は無い。木曾で手に入れた檜笠、越路で手に入れた菅蓑だけ、枕の上の柱にかけた。

昼はまれに訪ねてくる人々に心を動かし、あるいは八幡宮の宮守の老人や里の男たちが庵に入ってきて、「猪が稲を食い荒し、兎が豆畑に通う」など、私が知らない農民たちの話を聞いたりしながら、

日はすでに山の端にかかれば、夜寝ないで座っていると、月を待っては自分の影を伴い、灯火を取っては自分の影法師を相手に物事の良し悪しについて思いめぐらせる。

語句

■さるを 然るを。動詞「然り」の連体形+接続助詞「を」。ところが。そうではあるが。 ■筑紫高良山の僧正 高良山三井寺の座主寂源僧正。「筑紫高良山」は福岡県久留米市の山。  ■賀茂の甲斐某が厳子 寂源僧正は賀茂社の神官藤木甲斐守敦直の次男。「厳子」は実子の意味の造語。 ■洛にのぼりいまそかりける 京都に上ってきていらっしゃるのを ■ある人をして額を乞う 知人を通じて幻住庵の額を書いてくれるよう依頼した。 ■さる器たくはふべくもなし 立派な器など持つ必要は無い。 ■木曾の檜笠、越の菅蓑 木曾で手に入れた檜でつくった笠、北陸で手に入れた菅の葉を干して作った蓑。 ■宮守の翁 八幡宮の宮守をしている老人。 ■農民たちの話 ■夜座 やざ。夜遅くまで寝ないで座っていること ? ■罔両に是非をこらす 「罔両」は魍魎とも。妖怪変化のことを言うこともあるが、ここでは「薄い影」。自分の影法師のこと。自分の影法師に向かい合って、物事の良し悪しについて思い巡らせている。


かく言へばとて、ひたぶるに閑寂を好み、山野に跡を隠さむとにはあらず。やや病身、人に倦んで、世をいとひし人に似たり。つらつら年月の移り来し拙き身の料(とが)を思ふに、ある時は任官懸命の地をうらやみ、一たびは仏離祖室の扉(とぼそ)に入らむとせしも、たどりなき風雲に身をせめ、花鳥に情を労じて、しばらく生涯のはかりごととさへなれば、つひに無能無才にしてこの一筋につながる。「楽天は五臓の神(しん)を破り、老杜は痩せたり。賢愚文質の等しからざるも、いづれか幻の住みかならずや」と、思ひ捨てて臥しぬ。

先づ頼む椎の木も有り夏木立

現代語訳

こう言うからといって、ひたすら静かで寂しいことを好み山野に姿を隠そうとしているのではない。まあ病にかかって人に倦んで、世を厭うている人に似ている。

つらつら長年過ごしてきた拙き身の罪を思うに、ある時は任官して領土を得ることをうらやみ、ある時は仏門に入ろうとしたりしたが、行き先定めぬ風雲の旅に身を苦しめ、花鳥を愛でることに心を使い、ついに生涯のこととなり、無能・無才にしてただこの俳諧という一筋につながることとなった。

「白楽天は詩作に苦しんで全身を弱らせ、杜甫は詩作に苦しんで痩せたとまでいう。私は白楽天や杜甫の才能には遠く及ばないが、どちらも幻の住みかのようなものだ」と思い捨てて、臥した。

旅に旅を重ねた末、私はここようやく幻住庵に安息の地を得た。庭を見ると椎の木が立っている。まずはこの椎の木陰を頼んで、くつろぐとしよう。

語句

■任官懸命の地 任官して懸命に守るべき領土を得ること。 ■仏離祖室の扉に入らむ 仏門に入ること。 ■たどりなき風雲に身をせめ 行方定めぬ風雲に身を苦しめ ■しばらく生涯のはかりごととさへなれば ついに生涯のこととなってしまって。 ■つひに無能無才にしてこの一筋につながる 『笈の小文』にも同じ内容の感慨が述べられている。■楽天は五臓の神(しん)を破り 白楽天が詩を作るのに悩みぬいて全身が衰弱してしまったの意。思旧「詩役五臓神」 ■老杜は痩せたり 杜甫が詩を作るのに悩みぬいて痩せてしまったこと。■賢愚文質の等しからざるも 白楽天や杜甫に比べれば乏しい才能の私だが。 ■いずれか幻の住みかならずや どちらが幻の住みかのようなものでないことがあろうか。どちらも幻の住みかのようなものだ。

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解説:左大臣光永

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